トッテナム・ホットスパーFC
原語表記Tottenham Hotspur Football Club
愛称Spurs
Lilywhites
クラブカラー 白
紺色
創設年1882年
所属リーグプレミアリーグ
所属ディビジョン1部(2023-24)
ホームタウンロンドン
ホームスタジアム
トッテナム・ホットスパースタジアム
収容人数62,850
運営法人 ENICインターナショナルLtd.(英語版)
代表者 ダニエル・リーヴィー(英語版)
監督 アンジェ・ポステコグルー
公式サイト ⇒公式サイト
ホームカラーアウェイカラーサードカラー
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ
トッテナム・ホットスパーFC(Tottenham Hotspur Football Club、イギリス英語発音: [?t?tn?m-?h?tsp??-])は、イングランドの首都ロンドン北部をホームタウンとする、プレミアリーグに加盟するプロサッカークラブである。「トットナム・ホットスパー」と表記されることもある。愛称はスパーズ(Spurs)。 クラブのモットーはラテン語で「Audere est Facere(英語訳「To Dare Is to Do」)。クラブ名の「ホットスパー」は、トッテナム湿地
概要
1901年に初めてFAカップを制した。これはフットボールリーグの設立以降にノン・リーグ・クラブがFAカップを制した唯一の事例である。1960-61シーズンにリーグカップとFAカップを制し、これらの大会の2冠(ダブル)を達成した20世紀初のクラブとなった。1962年にFAカップを連覇し、1963年にヨーロピアンカップウィナーズカップを制し、欧州のクラブ大会を制したイギリス初のクラブとなった[3]。1970年代にリーグカップを2度制し、1972年にUEFAカップ(現UEFAヨーロッパリーグ)の初代王者となった。異なる2つの主要な欧州タイトルを獲得したイギリスのクラブはトッテナムが初めてである。1978年よりイングランドのトップリーグであるプレミアリーグに所属し続ける。フットボールリーグ時代に2回の優勝記録を持つが、2007?08シーズンのEFLカップを最後にタイトルを獲得していない。
地元のアーセナルとは長年ライバル関係にあり、両者の対戦はノース・ロンドン・ダービーと呼ばれる。
チームカラーの白と紺は、1888-89シーズンにリーグ戦とカップ戦の2冠を達成したプレストン・ノースエンドのキットカラーである。1898年以降は白のシャツと紺のパンツが基本スタイルとなり、現在まで続いている[4]。
世界最大の会計事務所である『デロイト』が公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグによると、2020-21シーズンのトッテナムのクラブ収入は4億620万ユーロでヨーロッパ第10位に位置しており、3億6650万ユーロでヨーロッパ第11位に位置するライバルのアーセナルを上回っている。
エンブレムには雄鶏が描かれている。これは、紋章学で「戦いの準備・覚悟ができている」という意味がある。 1882年9月5日火曜日、オール・ハロウズ・チャーチ
歴史
創設
1975年にグレン・ホドルが加入、1978-79シーズンにオズワルド・アルディレスとリカルド・ビジャが加入し、1980-81、1981-82シーズンのFAカップを連覇、1983-84シーズンにはUEFAカップを制した。
1990-91シーズン、リネカー、ガスコインを擁して7シーズン振りのタイトルとなったFAカップ優勝を果たした。 2001年よりジョー・ルイス
欧州の舞台へ
2005-06シーズンはチャンピオンズリーグ出場まであと一歩のところで足踏みし5位。しかし当時の監督マルティン・ヨルやファンデ・ラモスに補強に関する権限を与えなかったことからトラブルが起こり、その後チームは一時低迷する。
2008年10月にハリー・レドナップが監督に就任。同時にSD職を廃しチーム編成は監督と会長のリーヴィが主導するスタイルに改められた。2009-10シーズンは、ウィガン戦でプレミアリーグ史上2番目の得点差となる9-1で圧勝するなど、プレミアリーグ発足後のクラブ史上最高位となる4位となり、クラブ史上初めてUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した[6]。これによって、2005-06シーズンから2008-09シーズンまで続いたいわゆるビッグ4(アーセナル、チェルシー、マンチェスター・ユナイテッド、リヴァプール)[7][8]によるチャンピオンズリーグの出場権独占を終わらせた。