トッカータ
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トッカータ(伊: toccata)とは、主に鍵盤楽器による、速い走句(パッセージ)や細かな音形の変化などを伴った即興的な楽曲で、技巧的な表現が特徴。toccataは動詞toccare(触れる)に由来しており、オルガンやチェンバロの調子、調律を見るための試し弾きといった意味が由来である。最初期の鍵盤用トッカータは16世紀中ごろに北イタリアで現れた。
発生?ルネサンス期

16世紀までの器楽音楽は、声楽アンサンブル用のポリフォニー楽曲の即興的転用あるいは編曲であった。オルガン教会典礼における声楽ポリフォニーの伴奏楽器として用いられていたが、これは合唱の音程を安定させることも目的のひとつであった。最初期のトッカータ的な特徴を持った楽曲は、教会で宗教曲を演奏するのに際して音を提示する(いわゆる「音取り」)行為を音楽的に発展させ、ある種の和声的進行に音階的走句をともなった簡単な即興曲であった。これらの楽曲は初期の段階ではプレリューディウム (Praeludium)、リチェルカーレ (Ricercare)[注釈 1]等と呼ばれていた。

リュートビウエラ等の撥弦楽器でも声楽ポリフォニーの編曲演奏は盛んであり、これらに対してもその導入部分として即興的な楽曲を演奏することが行われた。これらはRicercareと呼ばれる一方でTastar de Corde(伊)、Tiento(西)などと呼称されることもあった。これらはそれぞれ、「弦に触れる」「感触」の意味で、トッカータ Toccataと同様の意味を持っている。

オルガン用トッカータもこの系譜に属する楽曲である。トッカータの名称をもつオルガン曲を収録した出版譜は1590年代にはじめて現れており、代表的作品としては、アンニーバレ・パドヴァーノアンドレア・ガブリエリのものをあげることができる。パドヴァーノの曲集 Toccate et ricercari d’organo は1604年出版であるが、パドヴァーノの没年は1575年であるので16世紀中ごろにはすでにオルガン用のトッカータが出現していた事がわかる。

このようなトッカータの発生は、初期バロックまでのトッカータで使用されている、旋法を明記するような曲名表記と関係している。たとえば、「第1旋法のトッカータ」は、そのトッカータがドリア旋法で書かれていることを意味しており、その曲がドリア旋法のポリフォニーの音取り、ないし導入に用いることができることを示唆している。
ルネサンス末期?初期バロック

パドヴァーノやアンドレア・ガブリエリのトッカータは、単純な和声進行的部分と音階的走句部分の組み合わせで書かれていたが、和声進行的部分は次第に模倣的、対位法的な曲想に置き換えられていった。パドヴァーノやガブリエリとともにヴェネツィアのサンマルコ寺院のオルガニストであった(ヴェネツィア楽派クラウディオ・メールロは対位法的部分をともなったルネサンス的トッカータ様式の完成者と見なせる。

当時南ドイツでは多くの音楽家がヴェネツィアに留学しその音楽を輸入しようとしていた(ハインリヒ・シュッツなど)。鍵盤楽器の分野ではシュッツよりも1世代上で、同じくヴェネツィアで学んだハンス・レーオ・ハスラーがトッカータをはじめとするイタリア風の鍵盤音楽をドイツにもたらしている。

ちょうど同時期にフランドル・オランダにも優れたオルガニストの一団がいた。その代表としてあげられるのがヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンクである。今日知られているだけでもスウェーリンクの手になるトッカータが十数曲ある。一連のファンタジアとともにスウェーリンクの作品群の主要な一角をなすこれらのトッカータは、形式上は和声部分または模倣部分と音階的楽句部分からなりヴェネツィア楽派をはじめとするイタリア諸派のそれと同様であるが、スウェーリンクのパッセージワークはイタリア風のきらびやかな楽句とは違い、より構造的であると評される。このようなパッセージワークの特徴は、バードブルフィリップス等のイギリスヴァージナル楽派の影響が色濃い。

しかし、音楽史の中でこの時期最も重要な鍵盤音楽の作曲家とされるのがジローラモ・フレスコバルディであり、彼の2巻のトッカータ集(第1巻 1615年1637年改訂、第2巻 1627年)はこの時期のトッカータという形式における記念碑的作品とされる。トッカータ集第1巻へのフレスコバルディ自身による序文には演奏方法のための注釈が9項目にわたって書き記されており、その1番目には「(このような曲を)演奏するに当たっては、現代のマドリガーレにおけるのと同様、拍を強調すべきではない。演奏が難しいマドリガーレも、あるときはゆっくり、あるときは早く、また停止させるなど表情や言葉の意味に従って拍を変化させることによって演奏がたやすくなる」と書かれている。ここで言う「現代のマドリガーレ」とは、フレスコバルディの同時代人モンテヴェルディなどの作品などを指している。モンテヴェルディはマドリガーレ集第5巻(1605年)の序文で、対位法のルールに固執する第一作法 (prima pratica) を離れて、詩や言葉の持つ感情をより直接的に表現する第二作法 (seconda pratica) を擁護し実践している事を表明している。フレスコバルディの注釈は、鍵盤音楽の分野においてもルネサンス的形式を離れ、第二作法を推し進めていくのだという表明と考える事ができる。その意味で、フレスコバルディは鍵盤音楽において初めて真にバロック的な表現を用いた音楽家のひとりであるといえる。フレスコバルディのトッカータの特徴のひとつはある程度まとまった楽節を次々に繰り出す形式にある。これらの楽節は模倣的であったり走句的であったりするが、必ずカデンツァで終わる。このような楽節構成によるトッカータは後々まで受け継がれていく事になる。

こうして、ルネサンス末期から初期バロック期にかけてはトッカータという形式におけるひとつの最盛期が訪れたといえる。この時期には、オルガン、チェンバロといった鍵盤楽器の他に、リュートジョヴァンニ・ジローラモ・カプスペルガーアレッサンドロ・ピッチニーニなど)やハープジョヴァンニ・マリア・トラバーチなど)のためのトッカータも作られた。


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