トタン(英語: galvanised iron)は、亜鉛めっき鋼板のうち、主に建築資材として使われているものの俗称。トタン板、亜鉛鉄板(あえんてっぱん)、亜鉛鍍鉄板(あえんとてっぱん)、亜鉛鍍金鉄板、亜鉛引鉄板、亜鉛引薄鉄板などとも呼ばれ、表面を亜鉛鍍金した薄鉄板のことを指す[1]。亜鉛めっき鋼板は安価で耐食性に優れており、建材や家電製品などに利用されている[2]。屋根[1]、バケツ、じょうろ、ちりとり等の日用品の材料にも用いられる。とたんが亜鉛を鍍金したものであるのに対してブリキは鉄板に錫を鍍金したものである[3]。 倉庫や物置の屋根材などに使用される波状の板を波板という[4](英語ではコルゲートという)。波板の材料はトタンなどの金属板に限られるわけではなく、塩化ビニルやポリカーボネートなど合成樹脂製のものもある[4]。トタン波板などの鋼板製波板は、そのままでは容易に変形してしまう薄鋼板を形状の工夫により強度を高めたものである[4]。 JIS G 3316に「鋼板製波板の形状及び寸法」が規定され、軟鋼板に亜鉛めっきしたもの、波板1号(大波)と波板2号(小波)が種類にあげられている。波板の大きさはさまざまだが、波付け前の標準幅が914ミリメートル、標準長さが1829ミリメートルのものがサブロク板(3尺×6尺による)と呼ばれ、日本では普通の大きさである。 なお、鋼板製波板の屋根材にはトタン波板よりも強度や耐久性の高いガルバリウム鋼板も用いられる[4]。 波板のトタンを切断する際には波板が変形してしまうことを防ぐために専用のはさみが用いられることが多い。 トタンの語源はポルトガル語の tutanaga(亜鉛)といわれているが、不詳である[6]。 広辞苑第二版(1969年〈昭和44年〉)には、ヒンディー語由来とあり、ポルトガル語「タウタン」と記載してある[7]。 鉄板に亜鉛を鍍金する技術はフランスの科学者ポール・ジャック・マルーインによって1742年に発明され、以来亜鉛板の代用品として利用されるようになった[8]。イギリスのロンドンドック会社の技師ヘンリー・ロビンソン・パーマーが1820年代に錬鉄技術から見出したとも言われる。1837年に Crawford が熔融亜鉛法 トタンは軽量で輸送にも便利で、強く、腐食耐性があり、プレハブ工法にも向いていた。米国、アルゼンチン、スペイン、ニュージーランド、オーストラリア、インドでは一般的な建築材料となり、オーストラリアとアルゼンチンでは屋根材として用いられた。 ニュージーランドでは、1850年代の導入以降、トタンは屋根、壁、フェンスなどに広く使用され、今では文化的アイデンティティを構成する一要素となっている[10][11][12]。 亜鉛鉄板は工業化とともに発展し、第一次世界大戦を契機に需要が拡大した。1890年代頃から錬鉄板は徐々に軟鋼板に置き換わったが、通称は変わっていない。 1960年頃には、製造法として溶融亜鉛法 (hot-dip galvanizing)、乾式亜鉛法 (sherardizing)、電気亜鉛法 (electro galvanizing)、金属亜鉛法 (metallic galvanizing) の4種が存在した[9]。 現代の建築家グレン・マーカットはトタンを素材として使用している[13]。また、アフリカのスラムでも多用されている。 日本にトタンがいつ入ってきたのかは不詳であるが、文久元年(1861年)の資料にトタンの当て字(かねへんに土、かねへんに丹)と見える[14]。明治の頃には波状断面をした亜鉛鍍鉄板を「生子板」と呼んでいた[15]。大島盈株の鉄道日誌には明治4年10月2日、「三百五十枚、トタン蒲鉾板、代金四百三十七両 一枚に付き金一両一分」とあり、村松貞次郎はこの「トタン蒲鉾板」は亜鉛引きの生子板と解釈している[16]。
波板
用途
建材簡易な建造物の屋根や外壁、塀に用いられたり雨どいなどに使われる。
竹林の拡大防止竹林の拡大防止のための遮蔽材として土地に埋設して利用される[5]。
加工
語源
歴史初期の手動の波型鉄板トタン板製造機。カパンダ博物館トタン屋根(ドイツ)錆びたトタン屋根
日本における歴史J・W・ハートによる神戸外国人居留地の地図(計画図)の一部。1870年(明治2年/3年)作成神戸外国人居留地の街並(海岸通・1885年〈明治18年〉頃)