トカイのワイン産地の
歴史的・文化的景観
(ハンガリー)
英名Tokaj Wine Region Historic Cultural Landscape
仏名Paysage culturel historique de la region viticole de Tokaj
面積13,255 ha
(緩衝地域 74,879 ha)
登録区分文化遺産
文化区分遺跡(文化的景観)
登録基準(3), (5)
登録年2002年
公式サイト世界遺産センター
トカイのワイン産地の歴史的・文化的景観(トカイのワインさんちのれきしてき・ぶんかてきけいかん)は、ハンガリーの世界遺産の一つである。トカイ地方(Tokaj-Hegyalja ; Hegyaljaは元来山麓の小丘を意味する)は、今日のハンガリー北東部に位置する歴史的なワイン産地で、28の有名な村と7000ヘクタールのブドウ畑から成る。ブドウ畑のうち、現在も栽培が行われているのはおよそ5000ヘクタールである。トカイのワイン地方は、ブドウ畑の文化的景観がユネスコの世界遺産に登録されている珍しい例の一つではあるが、世界遺産に登録される遥か以前より、貴腐ワインの名産地としてその名を知られていた。 トカイワインの産地が独特なのは、以下のような特色によるものである。 トカイ地方で最初にワインが作られたのが何時のことなのかは明らかになっていない。現存する史料からは、12世紀にはトカイにブドウ畑が作られていたことが分かっているので、この地でワイン生産が始まったのはそれより前であることは明らかだが、具体的な時期の推定は論者によってまちまちである。ただ、多くの専門家たちは、トカイでのブドウ栽培がケルト人たちの時代には始まっていたと主張している。Erd?benyeでは石化したブドウの葉が出土しているが、これは3世紀後半に遡り、古代ローマ時代のブドウ栽培を跡づけている。 スラヴ人たちがこの地方にやって来たのは5世紀後半か6世紀はじめである。トカイの語源は、一説にはスラヴ語のStokaj(合流点)ではないかともされている。トカイはボドログ川
特色
土壌と微気候
トカイの土壌は火山性の底土
ブドウの原産種の多様性
フルミントやハールシュレヴェリューといった品種が、イエロー・マスカット(Sargamuskotaly)やZetaとともに栽培されているが、トカイ地方ではこれらの品種の栽培しか公認されていない。
貯蔵室
西暦1400年から1600年の頃に、固い岩盤を繰りぬいて、巨大な貯蔵設備群が設置された。地下貯蔵庫内は常に摂氏10-12度くらいの温度である。貯蔵庫内は湿度85-90%に保たれているため、カビで覆われている。こうしたカビに適した湿度が、貴腐ワインであるトカイワインの熟成にとっても理想的な条件なのである。
呼称のシステム
1757年の王令でトカイに生産地区が設定された。これは世界で最初のワインの原産地名称保護制度(appellation)のシステムである。ブドウ畑を等級で分類することは1730年に始まり、1765年と1772年の国勢調査で完成した。
歴史
マジャール人たちが移り住んできたのは9世紀末のことである。ここから、ブドウ栽培は東から、おそらくカバル族(Kabar tribe)によってもたらされたとする説も出てくる。マジャール人自身は、独自のワイン製造の伝統を持っていた様である[2]。
ハンガリー王ベーラ3世(在位1130年-1162年)とベーラ4世(在位1235年-1270年)のそれぞれの治世下で、ラテン系民族がトカイに招かれて入植した。このラテン系民族はおそらくフランス北部からのワロン人とされるが、イタリア人とする研究者もいる。また、12世紀までにスラヴ系民族(スロヴァキア人とルシン人)もブドウ栽培にかかわっていたとする記録もあるが、いずれにしてもトカイが一大ワイン生産地域として発展するのは、16世紀以降のことである。
17世紀からはトカイワインはこの地方になくてはならない商品になり、その輸出は、当時トカイが属していたトランシルバニア地方の歴代領主にとっての多大な収入源となっていた。ただし、時代につれて有名になっていったトカイワインの収入は、ハプスブルク家の支配から独立するための資金源にも結び付いてゆくこととなる。
トカイワインの評判は、1703年に時のトランシルバニア領主ラーコーツィ・フェレンツ2世がフランス王ルイ14世に大量に寄贈したことで、さらに高まった。