トゥールーズ伯
[Wikipedia|▼Menu]
トゥールーズ伯の紋章

トゥールーズ伯(フランス語: comte de Toulouse オック語: comte de Tolosa)は、フランストゥールーズとその周辺地域を支配した伯爵。
歴史

1208年、異端カタリ派の鎮圧のため訪れていた教皇特使ピエール・ド・カステルノー(英語版)がレーモン6世の家臣により暗殺され、この事件をきっかけにアルビジョア十字軍が結成された[1]ラングドックレスター伯シモン・ド・モンフォール率いるアルビジョア十字軍により荒廃した。レーモン6世は1211年破門された上、1213年のミュレの戦い(英語版)において敗北し、1215年第4ラテラン公会議において伯の財産を没収された[2]。シモン・ド・モンフォールは1215年にトゥールーズを占領したが、1218年のトゥールーズ包囲戦で戦死し[3]、レーモン6世は伯領を奪回した。

レーモン7世は、レーモン6世とイングランド王女ジョーンとの息子であり、1222年に伯位を継いだ。異端派の抵抗が続く中、1226年にレーモン7世の破門および伯領のフランス王への帰属が決定されると、フランスルイ8世は軍を率いてランクドックを制圧した[4]1229年のモー条約(パリ条約)において、レーモン7世は新王ルイ9世にローヌ川以西の領地を譲渡、一人娘で相続人のジャンヌとルイ9世の弟のポワチエアルフォンスとの結婚を承諾した[4]1249年にレーモン7世は死去し、トゥールーズはジャンヌとアルフォンスが相続したが、2人の間には子供がなく、ともに1271年に死去し、広大なトゥールーズ伯領はフランス王領となった。
トゥールーズ領主一覧
ルエルグ伯家

レーモン1世(852年 - 865年)

ユニフレッド(852年 - 865)

ベルナール2世(863年 - 866年)

ウード(886年 - 918年)

レーモン2世(918年 - 924年)

レーモン(3世)・ポンス(924年 - 950年頃)

レーモン(4世)(950年頃 - 961年頃)

ユーグ(961年頃 - 972年頃)

レーモン(5世)(972年頃 - 978年頃)

ギヨーム3世(978年 - 1037年)

ポンス(1037年 - 1061年)

ギヨーム4世(1061年 - 1094年)

レーモン4世(6世)・ド・サン=ジル(1094年 - 1105年)

ベルトラン(1105年 - 1109年)

アルフォンス・ジュルダン(1109年 - 1112年) - まだ幼少であったため、統治権を従姉フィリッパに譲渡

フィリッパ(1112年 - 1117年) - アキテーヌ公ギヨーム9世と結婚、共治

アルフォンス・ジュルダン(1117年 - 1148年) - 再び伯位を継承

レーモン5世(7世)(1148年 - 1194年)

レーモン6世(8世)(1194年 - 1222年)

レーモン7世(9世)(1222年 - 1249年)

ジャンヌ(1249年 - 1271年) - ポワチエアルフォンスと結婚、共治

カペー家

フィリップ3世(1271年 - 1285年) - フランス王

以下、フランス王領に統合
ブルボン家

ルイ=アレクサンドル(1681年 - 1737年) - フランス王ルイ14世モンテスパン侯爵夫人との三男

脚注[脚注の使い方]^ 柴田 他、p. 459
^ ハラム、p. 382
^ ハラム、p. 383
^ a b 柴田 他、p. 197

参考文献

Chisholm, Hugh, ed. (1911). Encyclopadia Britannica (11th ed.). Cambridge University Press.

柴田三千雄 他 編『世界歴史大系 フランス史 1』
山川出版社、1995年

福井憲彦 編『新版 世界各国史 12 フランス史』山川出版社、2001年

エリザベス・ハラム 編、川成 洋 他訳『十字軍大全』東洋書林、2006年

下津清太郎 編『世界帝王系図集 増補版』近藤出版社、1987年

関連項目

トゥールーズ


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:10 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef