Tournus
行政
国 フランス
地域圏 (Region)ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏
県 (departement)ソーヌ=エ=ロワール県
郡 (arrondissement)マコン郡
トゥールニュ、トゥルニュ(仏: Tournus)はブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏ソーヌ=エ=ロワール県東部に位置する、人口6000人ほどのコミューン[1]。 トゥールニュはソーヌ川右岸(西岸)に位置し、パリからは南東359キロメートル[2]、県庁所在地であるマコンから北へ20kmほどにあたる。パリとは直通ではないものの鉄道でも接続されており、リヨン駅よりTGVで2時間ほどのシャロン=シュル=ソーヌ駅で在来線に乗り換えてさらに15分ほどの所要時間である[3]。また、船を利用してソーヌ川の沿岸各地からのアクセスも可能である[4]。 石灰岩でできたグレーピンクの町並みが特徴である[5]。町の北端は、正面である西側に城門を従えたサン・フィリベール教会で終わっている[6]。中世においては、北部は修道院の敷地として完全に城壁に囲まれており[7]、南部に市民の区画が発達していった[8]。市庁舎は中心部に存在する[9]。 東にはソーヌ川にかかる橋を備えており、古い町並みの全容を見渡すことができる(本項上部の図参照)[10]。 紀元前にはガリア人の水運基地として、その後はローマ帝国の手が伸びると軍隊の駐屯地として利用された。179年には聖ヴァレリアンがリヨンから避難してきてトゥールニュでキリスト教の宣教を行った。彼はこの地で没したが、4世紀に彼の墓に巡礼する人々のために礼拝堂が設けられた。6世紀にはこの地を支配していたブルグント王国によって聖ヴァレリアンに捧げられた修道院が建設された。9世紀までにこの修道院は衰退するが、875年にノワールムティエ島から聖フィリベールの遺骸を携えて避難して来た修道士たちにカロリング朝からこの跡地を寄進され定住した。[11] ちなみに聖フィリベールの遺骸はノワールムティエ島を836年に発し、トゥールニュに落ち着くまでの39年間、5箇所の土地を転々とした[12]。 10世紀中ごろになるとマジャール人の侵略を受けるが、11世紀には復興を遂げた[13]。 中世、修道院が隣接した都市では修道院との関係が、1.修道院により支配、2.修道院を支配、3.並立 という3パターンに分類される状態になるが[14]、修道院を北に控えたトゥールニュはこのうち3つめのパターンとなり、ほどよい対立状態のまま推移した[15]。
目次
1 地理
2 歴史
3 名所
4 人口
5 経済
6 著名な出身者
7 脚注
8 参考文献
9 翻訳元参考文献
10 外部リンク
地理
歴史