トゥルダの勅令
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トルダの勅令(Aladar Korosf?i-Kriesch画) ヤーノシュ2世(左)の前でダーヴィド・フェレンツ(中央)が演説している。

トルダの勅令もしくはトゥルダの勅令 (ハンガリー語: tordai ediktum、ルーマニア語: Edictul de la Turda) は、東ハンガリー王国ヤーノシュ2世が発した、信教の自由を認める勅令。三国民同盟(ハンガリー人貴族、ザクセン人セーケイ人)が宮廷の反三位一体派(英語版)(ユニテリアン)の説教師ダーヴィド・フェレンツの進言を容れる形で、1568年1月28日にトルダ(現ルーマニアトゥルダ)で発布された。個々人の信教の自由までは認めていないものの、宗教改革反宗教改革が吹き荒れるヨーロッパにおいてカトリックプロテスタント、さらにはユニテリアンまでもその存在を認める、当時としては極めて革新的な宗教寛容政策だった。
概要宗教改革期の各プロテスタント宗派の伝播域。東ハンガリー王国が支配したトランシルヴァニアでは改革初期にフス派の影響を受け、後にルター派(青)、カルヴァン派(水色)、ユニテリアン(黄色)が勢力を伸ばした。旧来のカトリックや東方正教会の勢力も残存しており、さらに王国はイスラーム王朝であるオスマン帝国の政治的影響下にあった。

中世ハンガリー南部・東部では、数世紀にわたりカトリック教会と東方正教会が共存していた。しかしカトリック教会はカトリック内から発生した異端には不寛容で、1523年にハンガリー議会がルター派を迫害する法律を制定し、1430年代には国内のフス派を追放した。しかし1526年のモハーチの戦いラヨシュ2世が敗死しハンガリーが内戦状態に陥って以降、プロテスタント迫害の法は意味をなさなくなっていった。1541年にオスマン帝国が旧ハンガリー王国の中部を併合し、残りのうちハプスブルク家の支配域を除く東部を半属国の東ハンガリー王国に任せた。東ハンガリー王国は新生児のヤーノシュ2世を「ハンガリー王」とし、その母イザベラ・ヤギェロンカ摂政として政権を握っていた。この1540年代前半に、東ハンガリー議会は、三国民(マジャール人、ザクセン人、セーケイ人)の権利を次々と承認していった。ルター派の多いザクセン人は、宗教問題は国内問題であると主張し、1544年から1545年にかけて入植してきた人々の中でのルター派導入を認めるよう要求した。1557年、議会はカトリックとルター派の信仰の併存を認めた。

1559年にイザベラ・ヤギェロンカが死去したことで親政を開始したヤーノシュ2世は、プロテスタント内の諸宗派間で繰り広げられていた神学的な論争に関心を持っていた。彼自身、1562年にカトリックからルター派へ、さらに1564年にはカルヴァン派へ改宗している。それにとどまらず、1567年には医師として宮廷に入っていたジョルジオ・ブランドラタとダーヴィド・フェレンツに説得されて、ヨーロッパのほとんどのキリスト教の根幹を成す三位一体概念の是非を議論することまで認めている。

こうした流れの集大成として発されたトルダの勅令は、「信仰は神の贈り物である」として、宗教を理由に個人を攻撃することを禁じるというものであった。実際に存在を公認されたのはカトリック、ルター派、カルヴァン派、反三位一体派の4派のみで、その他の改革派はヤーノシュ2世の次代バートリ・イシュトヴァーンの時代に禁止された。とはいえ、トルダの勅令で規定された宗教的寛容は、近世ヨーロッパにおいて東ハンガリー王国とその後継国トランシルヴァニア公国を際立たせる特徴となった。
背景フス派聖書・ミュンヘン写本の1ページ目

中世末期のハンガリー王国において、カトリック教会は深刻な危機に直面していた[1]。14世紀後半には、各地の小都市でカトリックこそ異端であるという主張が主流となっていった[2]。 また1430年代には、プラハ・カレル大学に留学した若い市民たちが帰国後にフス派の教えを広めた[2]。1430年代前半には2人のフス派説教師がハンガリーでフス派聖書を完成させている[3]教皇エウゲニウス4世は1436年にフランシスコ会士ジャコモ・デッラ・マルカ(英語版)をハンガリーのフス派掃討にあたらせた[2]。弾圧から生き残ったフス派は、1439年にモルダヴィア公国へ逃れた[2]

1520年代前半、上ハンガリー(ほぼ現在のスロヴァキアにあたる)のドイツ人市民たちがマルティン・ルターの最初の信奉者になった[4]。またハンガリー王ラヨシュ2世の妃で神聖ローマ皇帝カール5世の妹であるマリア・フォン・エスターライヒのもとでは、数十人の廷臣が宗教改革に賛同していた[5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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