トゥパク・アマル(スペイン語:Tupac Amaru、ケチュア語:Tupaq Amaru=高貴な龍又は輝ける龍、1545年-1572年9月24日、在位:1571年-1572年)は、インカ帝国最後の「皇帝」である。ただし、彼が「皇帝」となるより遙か以前に、インカ帝国はフランシスコ・ピサロによって征服されており、一部の残党がクスコ北方のウルバンバ川流域に立てこもってスペインに抵抗を続けていた。この新しい亡命政権を「ビルカバンバ(Vilcabamba)のインカ帝国(スペイン語版、英語版)」と呼ぶ。彼は、この勢力に擁立されたが、その後短期間のうちにこの「ビルカバンバのインカ帝国」は滅亡した。 トゥパク・アマルの父、マンコ・インカ・ユパンキは皇帝アタワルパの兄弟(一説に、マンコ・インカ・ユパンキはアタワルパの兄弟ではなく、下級貴族出身とも)だが、インカ帝国の内戦の際にアタワルパと対立したため、征服ののちピサロの傀儡としてインカ皇帝に擁立された。しかし、やがてマンコ・インカはピサロと対立し、1536年にクスコから脱走して反乱を起こした。反乱軍は先住民の大軍でクスコを包囲し、スペイン人を追いつめるが、やがて形勢は逆転し、撃退されて後退した。しかし、彼らが逃げ込んだウルバンバ川の奥地ビルカバンバは非常に峻険な地形であり、スペイン軍は容易に近づけなかった。そのため、彼らはその後約35年に渡ってこの地に独立した王国を維持し続けた。この間、スペイン勢力は宣教師を派遣して彼らの帰順を促したがうまくいかず、逆にピサロ一族とディエゴ・デ・アルマグロの、スペイン人同士の内乱に付け入って、アルマグロ派に接近することによって彼らは独立を維持し続けた。 しかし、マンコ・インカは、ピサロに敗れたアルマグロ派のスペイン人兵士をかくまっていたところ、彼らの裏切りによって1544年に殺害され、その後、彼の3人の子どもが次々とインカ皇帝に即位した。最初に即位したのが長子サイリ・トゥパックであったが、彼は1555年、ビルカバンバを離れてスペインに下り、弟のティトゥ・クシが跡を継いだ。ティトゥ・クシは1571年に亡くなったが、死の直前、スペイン人の神父が彼に薬を与えていたため、これを毒殺と考えた先住民は神父たちを殺害し、これが契機となってスペイン勢力はついにインカ帝国残党の完全征服に乗り出した。トゥパク・アマルはティトゥ・クシの死後ただちに皇帝に即位したが、すでに新インカ帝国の勢力は衰微しており、トゥパク・アマルはほとんど何もすることはできなかった。即位から1年あまりのちの1572年4月にはスペイン軍の来襲によって山中の「ビルカバンバのインカ帝国」は滅亡した。トゥパク・アマルは捕らえられて、激しい拷問ののち、同年9月24日にクスコで斬首された。没年齢は26?27歳。 処刑の時、トゥパク・アマルが処刑台に登り、刑執行人が刀を取り出したとき、先住民の全群衆が悲しみの叫び声を挙げて涙を流した。この様子に、トゥパク・アマルは右手をさっと挙げて人びとを静まらせた。その毅然とした態度に、群衆は一瞬で静まりかえった。それを見ると、トゥパク・アマルは死を目前にしたものとは思えない立派な態度で群衆に対してケチュア語で話し始めたと伝えられている。トゥパク・アマルがスペイン人の捕虜となった絵(1572年) 増田義郎「インカ帝国探検記?ある文化の滅亡の歴史?」中公文庫1975年 先代 初期王朝
トゥパク・アマル即位前の「ビルカバンバのインカ帝国」
即位と死
処刑場での一幕
関連図書
関連項目
ホセ・ガブリエル・コンドルカンキ(トゥパク・アマルの末裔を自称し、トゥパク・アマル2世を名乗る)
インカ帝国
フランシスコ・ピサロ
インカ皇帝
ケチュア
トゥパク・アマル革命運動
ツパマロス民族解放運動
コンドルは飛んでいく
2パック
外部リンク.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、トゥパク・アマル (初代)に関連するカテゴリがあります。
⇒Tupac Amaru, la vida, los tiempos, y la ejecucion del ultimo inca (en ingles)
⇒Historia del Peru Colonial
ティトゥ・クシサパ・インカ
1571年 - 1572年次代
インカ帝国滅亡
表
話
編
歴
サパ・インカ(インカ皇帝)
クスコ王国
(下王朝)
マンコ・カパック
シンチ・ロカ
リョケ・ユパンキ
マイタ・カパック
カパック・ユパンキ
第2王朝
(上王朝)
インカ・ロカ
ヤワル・ワカ
ウィラコチャ
ウルコ1
パチャクテク
インカ帝国
(第2王朝 / 上王朝)
パチャクテク
トゥパック・インカ・ユパンキ
ワイナ・カパック
ニナン・クヨチ1
ワスカル
アタワルパ
スペイン占領下
トゥパック・ワルパ
マンコ・インカ・ユパンキ
パウリュ・トゥパック・ユパンキ1
カルロス・パウリュ・インカ1
新インカ帝国
(ビルカバンバ亡命政府)
マンコ・インカ・ユパンキ
サイリ・トゥパック
ティトゥ・クシ
トゥパク・アマル
1 歴代皇帝に数えないことがある。
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