基礎自治体旗基礎自治体章
位置
ボスニア・ヘルツェゴビナでのトゥズラの位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯44度32分25秒 東経18度39分55秒 / 北緯44.54028度 東経18.66528度 / 44.54028; 18.66528
トゥズラ(ボスニア語およびクロアチア語:Tuzla、セルビア語:Тузла)はボスニア・ヘルツェゴビナの都市、およびそれを中心とした基礎自治体。
1991年の調査では人口は13万1千人であった。その後の避難民の流入などによって、現在の人口はおよそ16万人程度と見られている。サラエヴォ、バニャ・ルカに続いて、ボスニア・ヘルツェゴビナでは3番目に人口の多い都市であり、トゥズラ県の県都となっている。トゥズラという地名はトルコ語の「塩」(Tuz)にちなんだもので、町の地下に広範囲にわたって塩の堆積があることによる。 トゥズラはボスニア北東の 北緯44度32分17秒 東経18度40分34秒 / 北緯44.53806度 東経18.67611度 / 44.53806; 18.67611
地理
トゥズラにはトゥズラ国際空港(en、IATAコード:TZL)がある。空港から市内へはトロリーバスで結ばれている。空港は米軍基地イーグル・ベース(Eagle Base)の一部を利用して一般空港として開港した。 初めて歴史に登場するのは西暦950年のハンガリー統治下の時代で、ソリ(Soli)という名前で記されていた。ソリとはボスニア語、セルビア語、クロアチア語で「塩」という意味であり、現在の名称トゥズラはトルコ語で「塩の土地」という意味である。トゥズラには新石器時代に集落があったと推定され、これに従えば6000年前からこの土地に人が居住していたことになる。ソルニ・トゥルグ(Solni Trg)屋外博物館が2004年に開業し、トゥズラの町における塩の生産の歴史を知ることが出来る。塩の採取は地盤沈下を招き、特に20世紀には大きく進行した。沈下が進んだ地域の建物は倒壊するか破壊された。町には幾らかの歴史的な建造物がある。 1943年10月2日、第二次世界大戦下でパルチザンの抵抗によって、トゥズラは最大の解放都市となった。戦後、社会主義体制が敷かれたユーゴスラビア統治下でトゥズラは工業都市として発展した。1990年に実施された自由選挙では改革派が勝利した。これはこの時のボスニアで唯一の、非民族主義系の候補の勝利であった。1992年から1995年にかけてのボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の時代、トゥズラはボスニアで唯一の、非民族主義系の市長が統治する町であり、セルビア人民族主義者の武装勢力に包囲された。1995年5月25日、セルビア人勢力の砲撃によって71人の若者が死亡する「トゥズラの虐殺」(en ユーゴスラビア紛争当時、多くのクロアチア人がクロアチアへ、また多くのセルビア人がスルプスカ共和国あるいはセルビアへ脱出した。町に残った者は民族混成の市防衛隊を組織し、武装勢力から町を防衛した。内戦勃発前の1991年の民族別人口は次の通り: 合計: 131,618人 トゥズラは塩湖が町の中央公園の一部となっているヨーロッパで唯一の町である。作家のメシャ・セリモヴィッチ
歴史
人口動態
62,669人 (47.61%) - ボシュニャク人
21,995人 (16.71%) - ユーゴスラビア人
20,398人 (15.49%) - クロアチア人
20,271人 (15.40%) - セルビア人
6,285人 (4,77%) - その他・不明
文化