トゥズラ
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トゥズラ
Tuzla
Tuzla
Тузла

トゥズラの景色


基礎自治体基礎自治体

位置

ボスニア・ヘルツェゴビナでのトゥズラの位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯44度32分25秒 東経18度39分55秒 / 北緯44.54028度 東経18.66528度 / 44.54028; 18.66528
行政
ボスニア・ヘルツェゴビナ
 構成体 ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦
 トゥズラ県
 基礎自治体トゥズラ
市長Jasmin Imamovi?
SDP
地理
面積 
  基礎自治体域303 km2
標高232 m
人口
人口(2007年現在)
  基礎自治体域131,444人
    人口密度  434人/km2
その他
等時帯CET (UTC+1)
夏時間CEST (UTC+2)
市外局番35
公式ウェブサイト : ⇒tuzla.ba
チェスを楽しむ退役者たち。町西部の住宅地にて。

トゥズラ(ボスニア語およびクロアチア語:Tuzla、セルビア語:Тузла)はボスニア・ヘルツェゴビナの都市、およびそれを中心とした基礎自治体。

1991年の調査では人口は13万1千人であった。その後の避難民の流入などによって、現在の人口はおよそ16万人程度と見られている。サラエヴォバニャ・ルカに続いて、ボスニア・ヘルツェゴビナでは3番目に人口の多い都市であり、トゥズラ県の県都となっている。トゥズラという地名はトルコ語の「塩」(Tuz)にちなんだもので、町の地下に広範囲にわたって塩の堆積があることによる。
地理

トゥズラはボスニア北東の 北緯44度32分17秒 東経18度40分34秒 / 北緯44.53806度 東経18.67611度 / 44.53806; 18.67611 に位置し、マイェヴィツァ山(Majevica)のふもと、ヤラ川(Jala)沿いにある。町の中心は東西方向に広がる平原にあり、南北の丘陵地に住居地がある。

トゥズラにはトゥズラ国際空港(en、IATAコード:TZL)がある。空港から市内へはトロリーバスで結ばれている。空港は米軍基地イーグル・ベース(Eagle Base)の一部を利用して一般空港として開港した。
歴史

初めて歴史に登場するのは西暦950年のハンガリー統治下の時代で、ソリ(Soli)という名前で記されていた。ソリとはボスニア語、セルビア語、クロアチア語で「塩」という意味であり、現在の名称トゥズラはトルコ語で「塩の土地」という意味である。トゥズラには新石器時代に集落があったと推定され、これに従えば6000年前からこの土地に人が居住していたことになる。ソルニ・トゥルグ(Solni Trg)屋外博物館が2004年に開業し、トゥズラの町における塩の生産の歴史を知ることが出来る。塩の採取は地盤沈下を招き、特に20世紀には大きく進行した。沈下が進んだ地域の建物は倒壊するか破壊された。町には幾らかの歴史的な建造物がある。

1943年10月2日、第二次世界大戦下でパルチザンの抵抗によって、トゥズラは最大の解放都市となった。戦後、社会主義体制が敷かれたユーゴスラビア統治下でトゥズラは工業都市として発展した。1990年に実施された自由選挙では改革派が勝利した。これはこの時のボスニアで唯一の、非民族主義系の候補の勝利であった。1992年から1995年にかけてのボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の時代、トゥズラはボスニアで唯一の、非民族主義系の市長が統治する町であり、セルビア人民族主義者の武装勢力に包囲された。1995年5月25日、セルビア人勢力の砲撃によって71人の若者が死亡する「トゥズラの虐殺」(en)が発生した[1][2]
人口動態

ユーゴスラビア紛争当時、多くのクロアチア人クロアチアへ、また多くのセルビア人がスルプスカ共和国あるいはセルビアへ脱出した。町に残った者は民族混成の市防衛隊を組織し、武装勢力から町を防衛した。内戦勃発前の1991年の民族別人口は次の通り:

合計: 131,618人

62,669人 (47.61%) - ボシュニャク人

21,995人 (16.71%) - ユーゴスラビア人

20,398人 (15.49%) - クロアチア人

20,271人 (15.40%) - セルビア人

6,285人 (4,77%) - その他・不明

文化

トゥズラは塩湖が町の中央公園の一部となっているヨーロッパで唯一の町である。作家のメシャ・セリモヴィッチ(Me?a Selimovi?)出身地であり、毎年7月にメシャ・シェリモヴィッチ・ブック・フェスティバルが催され、ボスニア語、クロアチア語、セルビア語で書かれた小説のなかからその都市の最優秀を選出する。
地域区画「ボスニア・ヘルツェゴビナの地方行政区画」および「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の県」も参照

トゥズラはボスニア・ヘルツェゴビナを構成する構成体であるボスニア・ヘルツェゴビナ連邦ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の県のひとつ、トゥズラ県の県都であり、同県にはトゥズラ市を含む13の基礎自治体がある。トゥズラ市は39の地区(mjesne zajednice)に分かれている。

トゥズラ市には、中心となるトゥズラの町の他にも幾らかの村が含まれる。同市にはゴルニャ・トゥズラ(上トゥズラ、Gornja Tuzla)、フシノ(Husino)、パル・セロ(Par Selo)、シミン・ハン(Simin Han)、オボドニツァ(Obodnica)、カメニャシ(Kamenja?i)、プラネ(Plane)、シチ(?i?i)、スラヴィノヴィチ(Slavinovi?i)などの村がある。
行政

市長は非民族系の政党ボスニア・ヘルツェゴビナ社会民主党に属する作家で法律家のヤスミン・イマモヴィッチ(Jasmin Imamovi?)で、2004年に再選された。

市議会は30議席あり、非民族系のボスニア・ヘルツェボニア社会民主党に属するナダ・ムラディナ(Nada Mladina)が議長を務める。

ボスニア・ヘルツェゴビナ社会民主党 (SDP) - 14 人

民主行動党 (SDA) - 6 人

ボスニア党 (BOSS) - 4 人

ボスニア・ヘルツェゴビナ党 (SBiH) - 2 人

国民党=よりよい生活のために (Narodna stranka Radom za boljitak) - 2 人

クロアチア民主同盟 (HDZ) - 2 人.

気候

トゥズラの気候は中央ヨーロッパを特徴付けるもので、年平均気温は10℃、年間平均降水量は895mmである。今まで記録した最低気温は1963年1月24日の-25.8℃、最高気温は1988年7月6日の39.5℃である。[3]

トゥズラの気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
平均最高気温 °C (°F)2.7
(36.9)5.9
(42.6)10.4
(50.7)15.1
(59.2)20.3
(68.5)23.1
(73.6)25.5
(77.9)25.7
(78.3)22.0
(71.6)16.5
(61.7)9.7
(49.5)3.5
(38.3)15.03
(59.07)
平均最低気温 °C (°F)?4.4
(24.1)?2.3
(27.9)0.7
(33.3)4.4
(39.9)8.5
(47.3)11.4
(52.5)12.8
(55)12.6
(54.7)9.7
(49.5)5.7
(42.3)1.6
(34.9)?2.8
(27)4.83
(40.7)
降水量 mm (inch)71
(2.8)67
(2.64)70
(2.76)74
(2.91)82
(3.23)91
(3.58)79
(3.11)71
(2.8)70


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