トアホテル
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トアホテル
トアホテル
ホテル概要
設計下田菊太郎[1]
開業1908年
最寄駅JR神戸線元町駅 徒歩10分
所在地神戸市中央区北野町四丁目15番1号
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度41分55.13秒 東経135度11分7.81秒 / 北緯34.6986472度 東経135.1855028度 / 34.6986472; 135.1855028座標: 北緯34度41分55.13秒 東経135度11分7.81秒 / 北緯34.6986472度 東経135.1855028度 / 34.6986472; 135.1855028
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トアホテル(英称:Tor Hotel)は兵庫県神戸市北野町1908年(明治41年)に開業したドイツ系資本の高級ホテル。トーアホテルとも呼ばれる。ホテルは1950年(昭和25年)に焼失し、跡地には神戸外国倶楽部が建つ。その名はトアロードに残されている。
歴史

トアホテルは、イギリス人の富豪F・J・バーデンズ(F.J.Bardens [サミュエル サミュエル商會(現在のShell石油)の支配人][2])の屋敷「The Tor」(トールの家)があった場所に建てられた。本館は1908年(明治41年)に竣工し開業した。旧香港上海銀行長崎支店などを手がけた日本人建築家下田菊太郎 設計による全客室バス付の本格的ホテル専用建築で、当時「スエズ以東で最高のホテル」と称された。なお、トアホテルを運営していた会社 TOR Hotel, Ltd.は、明治40年3月に設立されており、大正5年時点で資本金20万円であった[3]

設立当初の主要な経営陣は、F.E.Popert (Chairman), Geo.H.Whymark (Director), C.Holstein (Director)であった[4]。そのうち、PopertとHolsteinは、ドイツ系の海陸運代理業C.Nickel & Co.,Ltd.の取締役であった[5]が、大正6年(1917年)までにはトアホテルの取締役から退いており、Whymarkが新たにトアホテルのChairmanとなっている[6]。Whymarkはイギリス人で[7]、ジョージ・ワイマーク商會[8]や競売・評価・仲次業のKobe Sales Roomsの館主[9]であった。同時期にDirectorになったJ.S.Happerは、紐育スタンダード石油会社支店長であった[10]。経営陣がドイツ系から英米系に変わったといえよう。

トアホテルは日本人向けに「東亜ホテル[11]」という名称も積極的に用いた。「トア(Tor)」という名称については、ホテル開業以前にこの場所にあったバーデンズの屋敷名との関連性が指摘され、英語の「小山」に由来するという説、ドイツ語の「門」に由来するという説など諸説あるが、命名に関しての客観的な証拠がなく決め手に欠ける(トアロード#名称の由来参照)。

大規模な建造物であったが山麓すぐに位置していたため、第二次世界大戦の戦災を免れた。1944年(昭和19年)10月に川崎重工業により買収された[12]。しかし戦後GHQに接収され、その管理下にあった1950年(昭和25年)に原因不明の火災により全焼した。1953年(昭和28年)1月31日に解散[13]
現在

ホテルが営業していた当時の外構の大部分は現存し、神戸外国倶楽部が引き継いでいる。これらはトアホテル竣工以前、その広大な敷地に住んでいたイギリス人富豪F・J・バーデンズの大邸宅の遺構である。現存する石垣にはA.C.1890の文字が刻まれている。

トアホテルが面していた、旧居留地から北野町へ至る坂道トアロードと呼ばれるようになり、それは焼失から約60年経った現在も変わりない[14]
脚註^ 米国イリノイ州シカゴ市1897年第471号 免許建築技師。(帝国銀行会社要録 : 附・職員録 大正8年(8版) 帝国興信所 編 大正8年出版)下田は、工部大学校を途中で退学。明治22(1889)年に渡米。明治31(1898)年帰国し建築事務所開設。明治34(1901)年に横浜に設計事務所を開く。横浜で明治6(1873)年9月に創業し関東大震災で崩壊したグランドホテル(現在のホテル・ニューグランドとは資本も経営陣も全く異なる)が、明治34年に、老朽化したので新築が予定されたときに、下田は依頼を受け建築計画を作成した。その後、下田は、神戸のトーア・ホテルの設計を行ったあと上海へ渡り、日本郵船の上海旋?山碼頭の桟橋の設計を手掛けた。帝国ホテル新館の設計の依頼も受けたが、結局、下田の計画案は採用にならなかった。(「ホテル・ニューグランド50年史」白土秀次著 1977年12月 ホテル・ニューグランド 出版)
^ 日本紳士録 第7版 交詢社 明治34年出版 p.55には、石油商であるShell Transport & Tradeing Company セル運送及び貿易会社 代表者との記載がある。また、The Japan directory for Tokyo, Yokohama, Kobe, Osaka, Kyoto, Nagasaki, Nagoya, Nemuro, Kushiro, Otaru, Niigata, Hakodate, Sapporo, Moji, Shimonoseki and Formosa 1905、Japan Gazette、明治38年出版、p.593には、Samuel Samuel & Co.の社員として記載がある。「神戸港」田中鎮彦 編 神戸港編纂事務所明治38.5出版 p.114には、サミュエル サミュエル商會(雑貨輸出入、汽船代理店、保険代理業)の支配人と記載されている。Sir Marcus Samuelが創立した同社は、英国ロンドンに本社を置く、現在のShell石油である。
^ 銀行会社要録 : 附・役員録 20版 東京興信所 編 東京興信所 大正5年出版
^ The Japan directory for Tokyo, Yokohama, Kobe, Osaka, Kyoto, Nagasaki, Nagoya, Nemuro, Kushiro, Otaru, Niigata, Hakodate, Sapporo, Moji, Shimonoseki and Formosa 1913、Japan Gazette. 大正2年出版
^ 銀行会社要録 : 附・役員録 第十四版 東京興信所 明30-45出版
^ 銀行会社要録 : 附・役員録 第22版 東京興信所 編 大正6-7年出版;The Oriental directory 元々堂書房 1921.3出版
^ Hotel review 46(542) 日本ホテル協会 1995-07出版


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