デーヴァ・ラーヤ1世
[Wikipedia|▼Menu]

デーヴァ・ラーヤ1世
ヴィジャヤナガル
デーヴァ・ラーヤ1世の治世におけるカンナダ語の碑文(マッリカールジュナ寺院)
在位1406年 - 1422年

死去1422年

子女ラーマチャンドラ・ラーヤ
ブッカ3世
娘(フィールーズ・シャー・バフマニーの妃)
王朝サンガマ朝
父親ハリハラ2世
テンプレートを表示
マッリカールジュナ寺院デーヴァ・ラーヤ1世の治世におけるカンナダ語の碑文(ハザーラ・ラーマ寺院)

デーヴァ・ラーヤ1世(Deva Raya I, 生年不詳 - 1422年)は、南インドヴィジャヤナガル王国、サンガマ朝の君主(在位:1406年 - 1422年)。
生涯

1406年、デーヴァ・ラーヤ1世は兄ブッカ2世を追い落としてその王座を確保し、父王ハリハラ2世の死後に続いた王位継承争いは終わりを告げた。

しかし、この王位継承の争いの間にデカンバフマニー朝が強力となり、デーヴァ・ラーヤ1世の治世はその戦いに追われた。

1414年、デーヴァ・ラーヤ1世はフィールーズ・シャー・バフマニーとの間で行われたトゥンガバトラー流域をめぐる抗争に敗れ、バフマニー朝に首都ヴィジャヤナガルまで進出された。彼は講和を結び、多額の賠償金と真珠や象を支払わなければならず、そして自分の娘をフィールーズ・シャー・バフマニーと結婚させることにし、結婚式には自ら首都ヴィジャヤナガルから出迎えた。

文化面では、父王ハリハラ2世が寺院の保護者であったように、デーヴァ・ラーヤ1世も同様で、彼の時代にはマッリカールジュナ寺院が建設されている。

1422年、デーヴァ・ラーヤ1世は死亡し、息子のラーマチャンドラ・ラーヤが王位を継承したがすぐに死亡し、別の息子ブッカ3世と孫のデーヴァ・ラーヤ2世の共同統治となった。
参考文献

辛島昇『新版 世界各国史7 南アジア史』山川出版社、2004年。 

辛島昇『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』山川出版社、2007年。 

関連文献

Dr. Suryanath U. Kamat, Concise history of Karnataka, MCC, Bangalore, 2001 (Reprinted 2002)

関連項目

ヴィジャヤナガル王国

サンガマ朝










ヴィジャヤナガル王
サンガマ朝

ハリハラ1世1336-1357

ブッカ1世1357-1377

ハリハラ2世1377-1404

ヴィルーパークシャ1世1404-1405

ブッカ2世1405-1406

デーヴァ・ラーヤ1世1406-1422

ラーマチャンドラ・ラーヤ1422

ブッカ3世1422-1424

デーヴァ・ラーヤ2世1422-1446

デーヴァ・ラーヤ3世1446-1465

ヴィルーパークシャ2世1465-1485

プラウダ・ラーヤ1485-1486

サールヴァ朝

サールヴァ・ナラシンハ・デーヴァ・ラーヤ1486-1491

ティンマ・ブーパーラ1491

インマディ・ナラシンハ・ラーヤ1491-1505

トゥルヴァ朝

ヴィーラ・ナラシンハ・ラーヤ1505-1509

クリシュナ・デーヴァ・ラーヤ1509-1529

アチュタ・デーヴァ・ラーヤ1529-1542

ヴェンカタ1世1542

サダーシヴァ・ラーヤ1542-1569

アーラヴィードゥ朝

ティルマラ・デーヴァ・ラーヤ1569-1572

シュリーランガ1世1572-1586

ヴェンカタ2世1586-1614

シュリーランガ2世1614

ジャッガ・ラーヤ1614-1617

ラーマ・デーヴァ・ラーヤ1617-1630

ヴェンカタ3世1630-1642

シュリーランガ3世1642-1649


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:9417 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef