公用語古ノルド語
古英語
宗教
北欧多神教(英語版)
(大半のノース人)
キリスト教
(大半の アングロ・サクソン人)
首都ヨーク
元首等
xxxx年 - xxxx年不明
変遷
成立865年
被征服954年
現在 イングランド
デーンロウ (Danelaw /?de?nl??/) は、古英語 Dena lagu に由来する言葉で、9世紀後半以来ヴァイキング(デーン人)の支配下に置かれたイングランド東部地域を意味する。この地域にはアングロ・サクソンの法制とは異質な慣習法や独自の方言、風習が残った。「デーンロー」表記もある[1]。 ほぼ今日のヨークから南、ロンドン北方に至る地域がデーンロウと呼ばれ、ノーサンブリア地方南部とミッドランド地方南東部に当る。主な定住地はレスター、リンカン、ノッティンガム、スタムフォード デーン人を中心とするヴァイキングは9世紀半ばからしばしばブリタンニアに侵攻を繰り返し、マーシア王国などアングロ・サクソン諸王国の大半を征服した。ただひとつ残されたウェセックス(Wessex)のアルフレッド大王(在位871年 - 899年)が878年エサンドゥーンの戦い
地理的範囲
概要
デーン人は次第に農民化してデーンロウ地域に定住し、やがてアングロ・サクソン王国の支配下に入ったが、デーン人内部の慣習法まで介入できなかった。このため、デンマーク系の慣習法はノルマン・コンクエスト(1066年)以後まで長く残存した。
ただし、イングランド北東部に侵入した当初はデーン人も政治・社会・文化の面において一体性があったわけではなく、また当時のテムズ川以北さらにハンバー川以北の地域は、ウェセックス王国から見ればデーン人の侵入に関係なく「異国」に近い地域であり、そもそもウェセックス王国の法や慣習の及びづらい地域であったという点も考慮すべきである。
なお、デーン人の言葉(古ノルド語)から英語に入った単語はいくつもあり、law (後期古英語ではlagu)もそのひとつである。
800年頃よりブリテン島やアイルランド沿岸部に対するヴァイキングの襲撃活動が始まった。865年、ヴァイキングはこれまでのような無秩序な襲撃ではなく初めて組織だったブリテン島遠征を行った。これが大異教軍である[3]。大異教軍は当時イングランドに存在したアングロ・サクソン人の4つの王国の征服を目標にブリテン島東部のイースト・アングリアに上陸した。このヴァイキング軍団は多くのデーン人首領が集結してひとつの大軍となっていたが、この軍団は主にハールフダン・ラグナルソン
デーンロウの背景アングロ・サクソン人の王国とデーン人の支配領域を記したイングランドの地図。Cassell's History of England, Vol. I からの引用。
ヴァイキングのヨーク統治