デーブ・ロバーツ
Dave Robertsロサンゼルス・ドジャース 監督 #30
ロサンゼルス・ドジャース監督時代
(2023年3月5日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 日本・沖縄県那覇市
生年月日 (1972-05-31) 1972年5月31日(51歳)
身長
体重5' 10" =約177.8 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション外野手
プロ入り1994年 MLBドラフト28巡目(全体781位)
初出場1999年8月7日
最終出場2008年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
ビスタ高等学校
獲得メダル
男子 野球
アメリカ合衆国
パンアメリカン競技大会
銀1999(英語版)野球
デーブ・ロバーツ(英: Dave Roberts;本名:デビッド・レイ・ロバーツ〈David Ray Roberts〉、1972年5月31日 - )は、沖縄県那覇市生まれ、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ出身の元プロ野球選手(外野手、左投左打)、プロ野球監督。現在はMLB・ロサンゼルス・ドジャースの監督を務める。
MLB史上初の日本生まれの監督であり[1]、日本生まれの監督として初めてワールドシリーズで指揮をとり世界一になった[2][3]。 1972年、返還から半月後の5月末に沖縄県那覇市でアフリカ系アメリカ人の父親(退役軍人)と日本人の母親の間に生まれる。その後、一家はカリフォルニア州サンディエゴに移住。カリフォルニア大学ロサンゼルス校に進む。 1994年のMLBドラフト28巡目(全体781位)でデトロイト・タイガースに指名され、6月9日に契約を結びプロ入りを果たした[4] 1998年にジェロニモ・ベローア 1999年に同年のパンアメリカン競技大会
経歴
プロ入り前
プロ入りとタイガース傘下時代
インディアンス時代
ドジャース時代ロサンゼルス・ドジャース時代
(2004年5月16日)
2002年からはロサンゼルス・ドジャースでプレーし、移籍1年目の2002年はチーム最多の45盗塁。
2003年は2度の故障者リスト入りで出場試合数が107だったが、前年に続き2年連続で40盗塁。 2004年はシーズン途中の7月31日にボストン・レッドソックスへトレードで移籍。両チームで41回の盗塁を試みて38回成功し、成功率92.7%は両リーグでカルロス・ベルトランの93.3%に次ぐ[6]。ポストシーズンでは0勝3敗で迎えたヤンキースとのアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ(ALCS)4戦目で1点ビハインドの9回に代走に出て盗塁を決め、チームはその後4連勝、ワールドシリーズ優勝を果たした。 2005年にサンディエゴ・パドレスへ移籍した。 2006年は、前年オフにメジャー屈指の中堅手であるマイク・キャメロンが加入したため、左翼手にコンバートされた。6月には守備の際にフェンスに激突し、故障者リスト入りする。故障が多いので左投手が先発するときは休養を取りながらプレーした[7]。この年に記録した13三塁打は、トニー・グウィンとならぶ球団記録であった[8]。 2006年オフにサンフランシスコ・ジャイアンツと3年総額1800万ドルの契約を結んだ。 2007年は最も得意な中堅を守ることになった[7]。この年は故障で戦線離脱したが、チーム最多の31盗塁を決め、バリー・ボンズ以来球団史上10年ぶりに30盗塁を達成した[9]。 2009年4月10日に放出され、12日に現役引退を発表。 引退後はパドレスの特別補佐役を務めていたが、2010年に血液のガンを発症して闘病。
レッドソックス時代
パドレス時代サンディエゴ・パドレス時代
(2006年6月9日)
ジャイアンツ時代
引退後サンディエゴ・パドレスでのコーチ時代
(2013年9月3日)