デーブ・ホリンズ
Dave Hollins基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地ニューヨーク州バッファロー
生年月日 (1966-05-25) 1966年5月25日(57歳)
身長
体重6' 1" =約185.4 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席右投両打
ポジション三塁手
プロ入り1987年 MLBドラフト6巡目
初出場1990年4月12日
最終出場2002年9月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
オーチャードパーク高等学校
デーブ・マイケル・ホリンズ(David Michael Hollins, 1966年5月25日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州バッファロー出身のプロ野球選手(三塁手)。右投両打。 サウスカロライナ大学在学時の1986年には第15回日米大学野球選手権のアメリカ合衆国代表に選ばれ、第3戦では猪俣隆から本塁打を放っている[1]。1987年のMLBドラフト6巡目(全体146位)でサンディエゴ・パドレスから指名され、プロ入り。1989年12月のルール・ファイブ・ドラフトでフィラデルフィア・フィリーズへ移籍し、1990年にメジャーデビュー。当時のレギュラーにチャーリー・ヘイズがいたため、2年間は控えだったが、ヘイズが去った1992年に三塁手のレギュラーを奪取。チームは最下位に苦しんだが、主に四番打者を務め、156試合出場。打率.270、27本塁打、93打点、104得点の好成績で、オフには同僚のダレン・ドールトンと共に日米野球で来日。1993年は初のオールスターに選出。打率.273・18本塁打・93打点・104得点でフィリーズのリーグ優勝に貢献。アトランタ・ブレーブスとのリーグ優勝決定戦では2本塁打を放つ活躍を見せた。 しかし、1994年以降は故障の影響で不振、所属球団も転々とした。 しかし、元々拙守だったことや、衰えが見られたのか、球団が若手のトロイ・グロースを起用するため、1999年の開幕前にかつてフィリーズ時代にワールドシリーズで対戦したトロント・ブルージェイズへ放出された。2000年はメジャーに上がることもなくシーズンを終えた。2001年にクリーブランド・インディアンスでメジャー復帰。2002年には古巣のフィリーズにも復帰したが、この年限りで引退した。
経歴
1996年シーズン途中にミネソタ・ツインズからシアトル・マリナーズに移籍したが、この時のトレード相手は無名のマイナーリーガーであるデビッド・アリアスだった。アリアスは後にアメリカ野球殿堂に選出されることになるデビッド・オルティーズである[2]。
1997年に移籍したアナハイム・エンゼルスでは長谷川滋利とチームメイトとなり、自身も打棒が復活し、打率.288、16本塁打、85打点・101得点を記録。糖尿病を抱えながらもムードメーカーとしてチームを盛り上げた。
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