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デーブ・スペクター
Dave Spector
第27回東京国際映画祭にて(2014年10月23日)
生誕 アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ
国籍 アメリカ合衆国
職業テレビプロデューサー
配偶者京子スペクター(1981年から)
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デーブ・スペクター(英語:Dave Spector、[1][2] - )は、日本を拠点に活動するアメリカ人テレビプロデューサー、タレント。株式会社スペクター・コミュニケーションズ[3]代表取締役。放送作家、著作家としても活動する。 アメリカ合衆国のイリノイ州シカゴ出身。公称身長170センチメートル。血液型はO型。妻はエッセイスト・コラムニストの京子スペクター[4]。本名、全名はデイヴィッド・マーク・スペクター(David Mark “Dave” Spector)。 イリノイ州シカゴに誕生する[1]。幼少時代は子役としてアメリカでケロッグのコーンフレークのコマーシャルなどの大手企業のテレビCMに出演していた。 小学5年生の頃、日本から転校してきたワタル君という日本人少年と親しくなったことがきっかけで日本語を勉強するようになる。加えて日本の文化にも興味を持ち始めると、アメリカで学生生活を送りながら日本の漫画、歌番組、映画などに触れる機会にも恵まれた[5]。 シカゴにあるレーン工科高校を卒業。学生数6000人のマンモス高校だった。最後の学年の時、共学化され300人前後の女子が入学してきて学内が大騒ぎになったと述懐する[6]。 上智大学に留学し、シカゴの放送学校[7](Institute of Broadcast Arts[8]、IBA[7])を卒業した[7]。 シカゴのコメディ劇団セカンド・シティに所属したり、コメディ・ライターとして活躍した後、ABCテレビの番組プロデューサー及び番組内における日本特派員として再来日する。 その来日中の1980年代前半に『笑っていいとも!』(フジテレビ)で「デーブ・雄三・スペクター」名でデビュー。『おもしろプレヌーン』(テレビ東京)で日本のテレビに初出演。巧みな話術に注目が集まり、徐々に外国人タレントとしての活動に軸足を置くようになり、ドラマやCMなどにも活動の場を広げる。 またそれ以降、「ダジャレを発するアメリカ人」としてバラエティで重用される一方、各種情報番組のコメンテーターとしても活躍し、オリコン2009年「好きなコメンテーター」ランキングで1位を獲得。彼の代名詞とも言えるアメリカン・ジョークと、そこに潜ませた“的確さ”“知識の豊富さ”が支持され、唯一、全世代にわたりTOP3入りを果たした。ちなみに来日して初めて言ったダジャレは「住めば都はるみ」で、他にも「案ずるより横山やすし」などのダジャレがある。 また、バラエティ番組『夜はタマたマ男だけ!!』(フジテレビ)や、『ひらけ!ポンキッキ』以降の『ポンキッキーズシリーズ』では、構成作家としても携わった。 1990年代以降のタレント活動はワイドショーのコメンテーターとしての出演が多く、どのニュースにもコメントを行うが、アメリカなど海外の芸能ニュースを得意とし、『とくダネ!』(フジテレビ)や、『ワイド!スクランブル』(テレビ朝日)、『サンデージャポン』(TBS)では海外エンタメニュースを担当。 本人は肩書きを「テレビプロデューサー」としており、『愛する二人別れる二人』(フジテレビ系)に対し「本物はもっと凄い」と、元ネタになった番組『ジェリー・スプリンガー・ショー またスペクター・コミュニケーションズ代表として、海外番組の買い付けビジネスを行っており、マイケル・ジャクソンが亡くなった時は、いち早く各局に映像を提供し、現地報道陣より先に最新情報を手に入れていたとされる。また、海外番組やユニークなCMのほか、海外セレブ、特にアメリカのゴシップ情報(雑誌記事や映像の放映権)を多く買い付け、各局に提供しており、さらにその多くはデーブ自身も出演している。また、アメリカの最新エンタメ情報を収集するため、ロサンゼルスの現地事務所よりエンタメ誌を空輸させている。 タレントを発掘する能力にも長けており、当時関西のテレビ番組に出演していた橋下徹に目をつけ、プロフィールを作って東京の各テレビ局を訪ね、デーブ自ら売り込みをして回り、東京進出に一役買った。 独自で探してきた日本の優れた人や物をアメリカの番組で数多く紹介してきている。今ハリウッドセレブの間で流行っている温水洗浄便座をいち早く米国のメディアで紹介したり、日本の番組を紹介し、それを見たテレビ局が米版の番組を作るきっかけを作った。「風雲!たけし城」や「料理の鉄人」などはデーブが最初にアメリカに紹介した。
経歴
生い立ち
日本留学
放送作家活動
コメンテーターとして
出自・職業についての諸説
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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