デーブ・ウィンフィールド
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デーブ・ウィンフィールド
Dave Winfield
アメリカ野球殿堂入りセレモニーにて(2001年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地ミネソタ州セントポール
生年月日 (1951-10-03) 1951年10月3日(72歳)
身長
体重6' 6" =約198.1 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション外野手指名打者
プロ入り1973年 ドラフト1巡目(全体4位)
初出場1973年6月19日
最終出場1995年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


ミネソタ大学

サンディエゴ・パドレス (1973 - 1980)

ニューヨーク・ヤンキース (1981 - 1990)

カリフォルニア・エンゼルス (1990 - 1991)

トロント・ブルージェイズ (1992)

ミネソタ・ツインズ (1993 - 1994)

クリーブランド・インディアンス (1995)

アメリカ野球殿堂 殿堂表彰者
選出年2001年
得票率84.47%
選出方法BBWAA(en)選出
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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

デービッド・マーク・ウィンフィールド(David Mark Winfield, 1951年10月3日 - )は、アメリカ合衆国ミネソタ州セントポール出身の元プロ野球選手外野手指名打者)。

ニックネームは「Winny」。
経歴
プロ入り前

幼少期から運動神経に優れ、野球バスケットボールで活躍する。

1969年MLBドラフトボルチモア・オリオールズから40巡目に指名を受けるが契約せず、学費が全額支給される特待生としてミネソタ大学に進学。当時のバスケットボール部コーチは後年NBAABAでも指揮を執ることになる若き日のビル・ムッセルマンであった。野球部コーチは元MLB選手で大学野球の殿堂入りをするディック・シーバート。バスケットボールでは1972年に53年ぶりのビッグ・テン大会優勝を果たし、野球では1973年にチームをカレッジ・ワールドシリーズに導いた。
パドレス時代(1973年 - 1980年)パドレス時代のウィンフィールド(1977年)

1973年のMLBドラフトサンディエゴ・パドレスから1巡目(全体4位)に指名を受けただけでなく、NBAドラフトアトランタ・ホークスから、ABAドラフトでユタ・スターズから、そしてアメリカンフットボールはプレイしていなかったにもかかわらず、NFLドラフトミネソタ・バイキングスから17巡目(全体429位)に指名を受けた。
3つの異なるプロスポーツからドラフト指名を受けたのは他にジョージ・カーター、 ジョ・ジョ・ホワイト、ノエル・ジェンク、ミッキー・マッカーティ、 デイブ・ローガンの5人だけであり、4つの異なるプロリーグから指名を受けたのはウィンフィールドとカーター、マッカーティの3人だけである[1]

最終的にパドレスと契約し、野球の道を選ぶ。ドラフト指名から2週間後、6月19日のヒューストン・アストロズ戦で早くもメジャーデビュー[2]。多種目でのドラフト指名に加え、マイナーリーグを経験せずにメジャー昇格を果たしたことで話題を呼んだ。6月21日の同カードでメジャー初本塁打を放つ[2]など56試合の出場で打率.277を記録した。

1974年はレギュラーを獲得し、打率.265、20本塁打、75打点を記録した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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