イギリスの政治家デーヴィッド・キャメロンDavid Cameron
公式肖像 2023年
生年月日 (1966-10-09) 1966年10月9日(57歳)
出生地 イギリス ロンドン
出身校オックスフォード大学
所属政党保守党
称号チッピングノートンのキャメロン男爵
配偶者サマンサ・シェフィールド
子女4人
サイン
公式サイトConservative Party website
チッピングノートンのキャメロン男爵デーヴィッド・ウィリアム・ドナルド・キャメロン(英語: David William Donald Cameron, Baron Cameron of Chipping Norton、1966年10月9日 - )は、イギリスの政治家、男爵(一代貴族)。同国第4代外務・英連邦・開発大臣。第75代イギリス首相、第20代保守党党首。名はデービッド[1]、デイビッド[2]とも表記される。 1966年10月9日にロンドンのメリルボーンに誕生する。イートン・カレッジを卒業後、オックスフォード大学で哲学・政治学・経済学を学び、一級優等学位(First Class Honours)を得て卒業した。1988年より保守党調査部に勤務し、サッチャーとメージャー両政権で政策資料の作成に従事する。また、ジョン・メージャー政権の財務大臣であったノーマン・ラモントのスピーチライターを務めた[3]。その後、1994年から2001年までイギリスの大手メディアであるカールトンに勤務した。2001年の庶民院議員総選挙では、オックスフォードシャーのウィットニー選挙区に保守党から出馬して初当選した。そして2005年の庶民院議員総選挙で再選した。 庶民院議員再選後は影の内閣の教育・技能相を務めていたが、マイケル・ハワードの辞任に伴い行われた保守党党首選挙に「若手による改革」を唱えて出馬する。当初キャメロンの当選は有力視されていなかったが、人気歌手ニール・セダカを彷彿とさせる39歳の若さや爽やかな弁舌が支持を集め、国会議員による予備選を勝ち抜き決選投票に進出。決選投票では、党内の実力者で影の内務大臣だったデイヴィッド・デイヴィスを大差で破り、第20代保守党党首に選出される。ウィリアム・ピット(小ピット)以来、最も議員経験の少ない党首であった。就任後は右寄りに傾きつつあった保守党を中道寄りに修正し、長期政権への倦怠感から不人気に陥ったブラウン労働党政権を上回る支持率を獲得。補欠選挙や地方選挙で快進撃を続け、保守党の党勢回復に成功する。2010年5月の庶民院議員総選挙では、労働党を上回る議席を獲得し第一党の座を奪還するも、事前予測ほど支持が伸びず過半数は獲得できなかったため、第3党の自由民主党に対し、連立政権の樹立を呼びかける。5月11日、ゴードン・ブラウン首相の退陣を受け、保守・自由民主両党による連立政権の樹立に合意した上で、首相に任命された[4][5]。首相就任時の年齢は43歳7ヶ月であり、1812年の第2代リヴァプール伯爵ロバート・バンクス・ジェンキンソン以来最も若い首相である。就任後、連立政権のパートナーである自由民主党のニック・クレッグを副首相及び枢密院議長に起用し、5月12日に戦後初の連立政権[6] である第1次キャメロン内閣を発足させた。 内閣発足直後の5月29日、財務省首席担当官
来歴
政治家になるまで
保守党党首
首相