データベース消費(データベースしょうひ)とは、物語そのものではなくその構成要素が消費の対象となるようなコンテンツの受容のされ方を指す[1]。批評家の東浩紀がゼロ年代初頭に導入した概念。 東が本論を提起した背景として、評論家・作家の大塚英志による物語消費の概念がある。 大塚は『物語消費論』で、ビックリマンシールやシルバニアファミリーなどの商品を例に挙げ、それらは商品そのものが消費されるのではなく、それを通じて背後にある「大きな物語」(世界観や設定に相当するもの)が消費されているのだと指摘し、主に1980年代にみられるこういった消費形態を物語消費と呼んだ。ここで「大きな物語(世界観・設定)」という意味で「物語」という語句を使うことは紛らわしいことから世界観消費といいかえられることもある[2][注 1]。 東はこれを踏まえ、物語消費論でいうところの「大きな物語(世界観)」が「大きな非物語(情報の集積)」に置き換わり、その文化圏内で共有されるより大きな「データベース」を消費の対象とする形態をデータベース消費と名づけ、特に日本の1990年代後半以降のオタク系文化において顕著にみられるとした。 これらの消費形態はポストモダンの到来と密接に関わっている。実際、オタク系文化とポストモダン社会は、次のような点で共通点があると考えられる。まず第一に、思想家のジャン・ボードリヤールによればポストモダン社会では作品・商品の原作と模倣の区別が困難になり、中間的なシミュラークル
概要
物語消費では、失われた大きな物語を補うべく作品背後の世界観という擬似的な大きな物語が捏造されたが(部分的なポストモダン)、データベース消費では捏造すらも放棄される(全面的なポストモダン)[5]。そして(全面的な)ポストモダン以降のオタク文化においては、個人の解釈の仕方によって多様に変化するデータベース(情報の集積)へアクセスすることによって、そこからさまざまな設定を引き出して原作や二次創作(オリジナルとコピーの見分けのつかないシミュラークル)が多数生み出されるという。
ジャック・ラカンが用いた「現実界・象徴界・想像界」の用語に対応させると、「大きな物語」が「象徴界」、「小さな物語」が「想像界」、「データベース」が「現実界」となる[6]。ただし、精神科医の斎藤環はこの対応を比喩としては理解可能であるが、データベースに相当するのは象徴界であり、自律性を備えた象徴界が後述(#オタク文化内)する「キャラクターの生成」を促すのだと説明している[7]。世界のデータベース化は、文化面でのポストモダン化(データベース消費への移行)・経済面でのグローバル化・技術面でのIT化というものが形を変えて現れているのだと考えられる[8]。
東自身はデータベース消費論におけるデータベースの種類について言及していないが、情報工学を専門とする山口直彦[9] や美術評論家の暮沢剛巳[10] は関係データベースに相当する概念だとしている。
データベース消費の例
オタク文化内このウィキペたんの図像は、「猫耳」「メイド服」「尻尾」といった視覚的な記号(萌え要素)によって構成されている。
前述のように、東は主に1990年代後半以降の日本のオタク系コンテンツの受容のされ方をデータベース消費の例として挙げている。
例えば1979年放送開始の『機動戦士ガンダム』と1995年放送開始の『新世紀エヴァンゲリオン』のファンの消費の仕方の変化には、物語消費からの脱却がうかがえるという[11]。