デヴィルズバッグ
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デヴィルズバッグ
欧字表記Devil's Bag
品種
サラブレッド
性別
毛色鹿毛
生誕1981年2月19日[1][2]
死没2005年2月3日(24歳没)[1][3]
Halo
母Ballade
母の父Herbager
生国 アメリカ合衆国メリーランド州
生産者E. P. Taylor[2]
馬主Hickory Tree Stable[2]
調教師Woodford C. Stephens[2]
競走成績
生涯成績9戦8勝[2]
獲得賞金445,860ドル[2]
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デヴィルズバッグ(Devil's Bag、1981年 - 2005年)は、アメリカ合衆国サラブレッド競走馬、および種牡馬。2歳時に無敗の5連勝を飾り、1983年エクリプス賞最優秀2歳牡馬を受賞したが、翌年怪我により早期に引退した。種牡馬としても実績を残し、タイキシャトルなどの父となった。
経歴
出生

エドワード・プランケット・テイラーの所有するウインドフィールズファームメリーランド支場で、1981年に生まれたサラブレッドの牡馬である[3]。父ヘイロー、母バラッドとの間に生まれた馬で、全姉にグローリアスソング、全弟にセイントバラードなどがいる[3]

デヴィルズバッグは1歳のときにキーンランドのジュライセレクトセールに出品され、325000ドルでジェームズ・P・ミルズの率いるヒッコリーツリーステーブルに購入された[3]。デヴィルズバッグはヒッコリーツリーステーブル名義で登録され、ウッディ・スティーヴンス調教師のもとで競走馬としての訓練を積んだ。
2歳時(1983年)

スティーヴンス調教師はデヴィルズバッグの才能に感じ入り、2歳時は冬頃からフロリダ州で長らく調教を重ね、初戦として迎えたのは8月20日の未勝利戦(サラトガ競馬場・ダート6ハロン)であった[4][c 1]。9頭立てで行われたこの競走において、デヴィルズバッグは後続を7馬身半も突き放す圧勝で初勝利を挙げた。スティーヴンスはこの勝利後、「あれの走りを見たか? あれはランナーだ。怪物の類いだ」と喜びを語っている[4]。このとき騎乗していたエディ・メイプルは以後もほとんどの競走でデヴィルズバッグの鞍上を務めている。

同年、デヴィルズバッグは負け知らずの5連勝を記録した。その競走内容も濃く、2戦目の一般競走(ベルモントパーク競馬場・ダート6ハロン)では5馬身1/4差の勝利、また3戦目のカウディンステークス(G2・ベルモントパーク・ダート7ハロン)で記録した1分21秒40のタイムは当時のベルモントパークのダート7ハロン(約1408メートル)でのトラックレコード、さらに翌戦シャンペンステークス(G1・ベルモントパーク・ダート8ハロン)では1976年にシアトルスルーが記録していた同競馬場ダート8ハロンのトラックレコードを塗り替えた[4][c 1]

さらに同年最終戦のローレルフューチュリティにおいてもローレルパーク競馬場ダート8.5ハロンで1分42秒20のタイムを叩きだし、スペクタキュラービッドの保持していたトラックレコードを塗り替えた[1][c 2]。全競走で27馬身、平均して5馬身半の差を付けており、その世代において圧倒的な力を持っていることを示し続けた[c 2][c 1]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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