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デヴィッド・ニーヴン
David Niven
1948年
本名James David Graham Niven
生年月日 (1910-03-01) 1910年3月1日
没年月日 (1983-07-29) 1983年7月29日(73歳没)
出生地 イギリス・ロンドン
死没地 スイス・シャトー・デー
国籍 イギリス
職業俳優
活動内容映画、映画製作
配偶者プリムラ・ロロ(1940年-1946年)
ヒョルディス・パウリナ・テレシュメデン(1948年-1983年)
主な作品
映画
『嵐が丘』
『八十日間世界一周』
『007 カジノ・ロワイヤル』
受賞
アカデミー賞
主演男優賞
1958年『旅路』
ゴールデングローブ賞
主演男優賞(ドラマ部門)
1958年『旅路』
男優賞(ミュージカル・コメディ部門)
1953年『月蒼くして』
その他の賞
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1973年時点の写真
デヴィッド・ニーヴン(David Niven、本名:James David Graham Niven 、1910年3月1日 - 1983年7月29日)は、イギリス・ロンドン出身の俳優。しゃれた髭が特徴で、都会的な紳士役で長らく人気を博し「スクリーンの粋の化身」と称された。英語での発音は/?n?v?n/(ニヴン)。 父ウィリアム・ニーヴンは軍人で、デヴィッドが幼少の頃に第一次世界大戦のガリポリの戦いで戦死した。ヒーザーダウン、サウスシー、バックスの学校を転々とし、ストウ・パブリック・スクール カナダに渡り、職を転々とした後、近衛歩兵第1連隊の元中佐の援助を受けて、アメリカ合衆国へ向かう。ニューヨークでもパーティーの給仕、セールスマンなどの様々な職につき、アメリカン・ポニー・エクスプレス競技協会の設立に参加するが、この計画は途中で頓挫してしまった。 そこで映画の仕事にありつこうとカリフォルニア州に向かい、エキストラ協会に登録、最初に与えられたエキストラの仕事はメキシコ人の役だったという。1934年にエドマンド・グールディング監督と知り合ったことから、大物プロデューサーのサミュエル・ゴールドウィンに拾われ、1935年に『過去から来た男』で初めてセリフのある役を与えられる。 その後は1949年に契約が切れるまでゴールドウィンのもとで第2のロナルド・コールマンとして大いに売り出していったが、まったく演技素養がないことが災いして次第に伸び悩む。 1939年から1945年の第二次世界大戦中は、イギリス陸軍に大佐として従軍し、ブリティッシュ・コマンドスにも参加した。ちなみにニーヴンは応召した最初のハリウッド・スターだった。戦後は再びアメリカに活動の中心を移し、知的でありながらユーモアセンスも併せ持つ独特の雰囲気から人気が出始め、1970年代まで安定した人気を保った。 1952年にディック・パウエル、シャルル・ボワイエ、アイダ・ルピノと共にフォー・スター・テレビジョン・カンパニーを設立し、テレビ番組を製作した。1956年に権利を1000万ドルで売却した。1956年の『八十日間世界一周』では気高いイギリス紳士役を演じた。その後1958年に『旅路』にてアカデミー主演男優賞を受賞する。その他1962年『ピンクの豹』(ブレイク・エドワーズ監督)では怪盗ファントム役で出演し、イギリス紳士らしい気品とユーモア溢れる演技を見せた。 そして1967年『007/カジノロワイヤル』(ジョン・ヒューストン監督他)に出演する。この作品で彼はジェームズ・ボンドを演じる。ちなみに原作者イアン・フレミングがイオン・プロ制作の最初のボンド役に最も望んだのが彼であった。イアン・フレミングがボンドを創作する際、彼をイメージして書いたとも言われ、ボンドの少年時代から青年時代の設定が彼の生い立ちと似ているのもそのためである。 また、小説『007は二度死ぬ』(ハヤカワミステリー文庫:井上一夫訳)の中で、キッシー・スズキの回想にデビッド・ニーヴン本人が登場する内容もある。デビッド自身も文筆にも才能があり、1971年に発表した自伝はベストセラーになった他、その姉妹編や小説も出版した。 晩年は長い闘病生活で、1983年に俗にルー・ゲーリッグ病と言われる筋萎縮性側索硬化症でスイスのシャトー・デーにて世を去った。遺作は、1983年に公開され、20年ぶりに彼の当たり役であるファントムを再び演じた『ピンク・パンサー5 クルーゾーは二度死ぬ』。 1940年にイギリス人弁護士の娘、プリムラ・ロロと結婚、2人の息子をもうけるが、1946年に彼女がパーティーで階段から転落死するという悲劇に見舞われる。1948年にスウェーデン人モデルのヒョルディス・パウリナ・テレシュメデンと再婚、2人の養女がいる。プリムラとの息子のデヴッド・jrは俳優、ジャミーはサザビーズの競売人になった[1]。
生涯
生い立ち
俳優デビュー
人気俳優に
ジェームズ・ボンド
晩年
家族
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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