デヴィッド・テナント
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デイヴィッド・テナント
David Tennant
2019年
本名デイヴィッド・ジョン・マクドナルド(出生名)
生年月日 (1971-04-18) 1971年4月18日(53歳)
出生地 スコットランド
ウェスト・ロージアンバスゲート
国籍 イギリス
ジャンル俳優、声優、ナレーター
活動期間1987年 -
活動内容ドラマ、映画
配偶者ジョージア・モフェット
主な作品
映画
『LA Without a Map』
『Bright Young Things』
ハリー・ポッターと炎のゴブレット
フライトナイト/恐怖の夜』テレビドラマ
『Casanova』
ドクター・フー
ユナイテッド -ミュンヘンの悲劇-
ブロードチャーチ?殺意の町?
Marvel ジェシカ・ジョーンズ
グッド・オーメンズ
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デイヴィッド・テナント(David Tennant, 1971年4月18日 - )は、イギリス俳優スコットランド出身。

舞台俳優としては『ハムレット』のハムレット役で絶賛され[1][2]、テレビドラマシリーズ『ドクター・フー』の10代目ドクター役として高い知名度を得ている。
来歴
幼少期

3歳の時に『ドクター・フー』のファンであったため俳優を目指すことを両親に話す[+ 1][3]が、両親からはもっとありふれた職業に就くようにと諭されている[4]。『ドクター・フー』を全エピソード欠かさず視聴し、当時のドクター役であったトム・ベイカーのサイン会にも参加している[4]。ラルストン小学校とペイズリー・グラマー・スクールで学ぶうちに、英語の教師によって自らの才能に気付くことになる[5]。小学校とグラマー・スクールの両方で舞台に立っている。

11歳で踏んだ初舞台はスコットランドの女優エディス・マッカーサーに注目され、観劇後に「将来は有望な舞台俳優になるだろう」と両親に告げられている[6]。またロイヤル・スコティッシュ・アカデミー・オブ・ミュージック・アンド・ドラマの土曜クラスに通い、16歳の時に最年少でアカデミーに合格。英国俳優労働組合に同姓同名の俳優が既に登録していたため、10代向け音楽雑誌スマッシュ・ヒット[7]に載っていたペット・ショップ・ボーイズのボーカルのニール・テナント[8]から芸名をテナントとする。友人で女優のルイーズ・デラメアとはアカデミー時代から学士号を得るまで共同生活をしていた。
キャリア
初期

プロとしてはグラマー・スクール時代にデビューを果たしている。16歳の時にグラスゴー保険局の禁煙啓蒙広告に出演し、テレビと学校で放送された[6]。同年子供向け番組"Dramarama"に出演。演劇学校を卒業後の初出演作はアシュリー・ジェンセンと共演したベルトルト・ブレヒト作『アルトロ・ウィの抑え得た興隆』で、数少ない政治劇への出演だった。また当時からテレビ番組にも出ており、スコットランドのシットコム"Rab C. Nesbitt"に性転換症のバーメイド、ダヴィーナ役で出演している。1990年代はダンディー・レップシアターでの舞台に出演することが多かった[9]

初めてのテレビ番組でのレギュラーは、1994年放送のスコットランドのテレビドラマシリーズ"Takin' Over the Asylum"の双極性障害を患ったキャンベル役である。撮影中にコメディエンヌアラベラ・ウィアーと出会い、ロンドンへ引越してから5年に渡りウィアー宅で生活。その間に彼女と夫ジェレミー・ノートンの間に出来た子供の名付け親になっている。その後しばらくはウィアーの出演作に出ることが多く、テレビドラマ"Posh Nosh"、『ドクター・フー』のオーディオドラマ[+ 2]に出演。また『日蔭のふたり』でクリストファー・エクルストン演じるジュードに対し、頭脳で勝負をしようとする酔っぱらいの大学生役を演じる。後にエクルストンは『ドクター・フー』の9代目ドクターを演じ、前任者となる。

またロイヤル・シェイクスピア・カンパニーで頻繁に舞台俳優としての経験を積んでいく。初舞台は1996年の『お気に召すまま』で、プレイボーイのオーランド役を受けていたが、道化のタッチストーン役になりスコットランド英語で演じた[10]。その後は道化役専門となり、『間違いの喜劇』のシラクサのアンティフォラス、リチャード・ブリンズリー・シェリダン作『恋がたき』のキャプテン・ジャック・アブソルートを演じ、一方で『ロミオとジュリエット』のロミオ役で悲劇的な役も演じた。

更に1998年に発売されたシェイクスピアのオーディオドラマシリーズ"Arkangel Shakespeare"にも出演している。『間違いの喜劇』、『ベニスの商人』、『リア王』、『ロミオとジュリエット』にスコットランド英語で参加。1995年にはロンドンロイヤル・ナショナル・シアターで、ジョー・オートンの『執事は見た』にニコラス・ベケット役で出演。役柄上全裸で演じることとなった。テレビでは2000年、"Randall & Hopkirk (Deceased)"の第一話にエキセントリックな画家として出演。スコットランド英語で演じた数少ないテレビドラマでの役である。

2002年のクリスマスシーズンに薬局チェーンブーツ・ザ・ケミスツのCMシリーズに出演[11]。2004年から2005年にかけてテレビドラマへの出演が一挙に増え、"He Knew He Was Right"、"Blackpool"、"Casanova"、"The Quatermass Experiment"にそれぞれ主演または準主役級で出演。映画ではスティーヴン・フライ主演の"Bright Young Things"、『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』にバーテミウス・クラウチ・ジュニア役で出演。
ドクター・フー(2005年?2010年)2009年7月のコミコンより。左から製作総指揮のラッセル・T・デイヴィス、テナント、ディレクターのエウロス・リン、デイヴィスと同じく製作総指揮のジュリー・ガードナー

ドクター・フー』は長い休止期間を経て、2005年にクリストファー・エクルストンの9代目ドクターで英国テレビ界に戻ってきた。しかし2005年3月31日にエクルストンがシーズン2には参加しないことを表明、4月16日にBBCはテナントを新しいドクターとすることを発表した。10代目ドクターとしての初登場は2005年放送の「分かれ道」のラストシーンで、また11月18日にはその続きであるチャリティー番組内で放送された7分間のミニエピソードにも出演した。2005年7月後半には『ドクター・フー』の新シリーズの撮影を開始している。主演としての初登場は2005年クリスマススペシャルの「クリスマスの侵略者」である。

子供の頃の夢を叶えたことについて非常に感激していると何度も明言している。GWR FMのインタビューでは「ドクターになりたくない人なんている?僕は自分のターディスを手に入れたんだ!」と語っている。2006年、番組の専門誌"Doctor Who Magazineの読者投票で、長年に渡り1位に留まっていたトム・ベイカーを下し「最高のドクター」に選ばれた[12]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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