デヴィッド・クローネンバーグ
David Cronenberg
2012年ジニー賞にて。
本名David Paul Cronenberg
生年月日 (1943-03-15) 1943年3月15日(81歳)
出生地 カナダ トロント
国籍 カナダ
職業映画監督、脚本家、俳優
ジャンルホラー、サスペンス、SF
配偶者Margaret Hindson (1970 - 1977)
Carolyn Zeifman (1979 - 2017.6.19 )
著名な家族ブランドン・クローネンバーグ(息子)
主な作品
『ザ・ブルード/怒りのメタファー』
『スキャナーズ』/『ヴィデオドローム』
『デッドゾーン』/『ザ・フライ』/『戦慄の絆』
『裸のランチ』/『クラッシュ』/『イグジステンズ』
『スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする』
『ヒストリー・オブ・バイオレンス』
『イースタン・プロミス』/『危険なメソッド』
『コズモポリス』/『マップ・トゥ・ザ・スターズ』
受賞
カンヌ国際映画祭
審査員特別賞
1996年『クラッシュ』
功労賞
2006年
ヴェネツィア国際映画祭
栄誉金獅子賞
2018年
ベルリン国際映画祭
銀熊賞(芸術貢献賞)
1999年『イグジステンズ』
全米映画批評家協会賞
監督賞
1991年『裸のランチ』
2005年『ヒストリー・オブ・バイオレンス』
脚本賞
1991年『裸のランチ』
ニューヨーク映画批評家協会賞
脚本賞
1991年『裸のランチ』
ロサンゼルス映画批評家協会賞
監督賞
1988年『戦慄の絆』
ジニー賞
作品賞
1989年『戦慄の絆』
監督賞
1984年『ヴィデオドローム』
1989年『戦慄の絆』
1992年『裸のランチ』
1996年『クラッシュ』
2003年『スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする』
脚色賞
1989年『戦慄の絆』
1996年『クラッシュ』
ゴールデン・リール賞
1996年『クラッシュ』
その他の賞
備考
第52回カンヌ国際映画祭 審査委員長(1999年)
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デヴィッド・ポール・クローネンバーグ (David Paul Cronenberg、1943年3月15日 - )OC(カナダ勲章)、FRSC(カナダ王立協会フェロー)は、カナダの映画監督、脚本家。独特のボディ・ホラーで有名。数多くの個性的な作品を世に送り出し、また俳優としても活躍。自作数本とテレビシリーズ『エイリアス』シーズン3、『誘う女』、『ジェイソンX』など、20作品近い出演作品が有る。 クローネンバーグは1943年にオンタリオ州トロントのリトアニア系ユダヤ人家庭に生まれた。子供の頃はクライム・ストーリー専門の記者だった父ミルトンの影響で物語を書いたり、バレエ団などでピアニストをしていた母エステルの影響でクラシックギターを嗜んだ。 1961年にトロント大学へ入学。当初は生化学・生物学を専攻するも、翌年英語・英文学に転部。在学中に短編小説で賞を受けるなど文才を発揮するが、小説という分野ではかねてより敬愛していたウィリアム・S・バロウズやウラジーミル・ナボコフなどの作家に及ぶことはできないとして、作家の夢は断念。 極めて優秀な学業成績で大学を卒業後、一年間ヨーロッパに渡り主に先祖の地に近いデンマークに滞在。帰国後、同大学の大学院修士課程に進学。 友人の影響を受け映画に活路を見出し、16mmの短編映画『Transfer』(1966年)と『From the Drain』(1967年)を監督。その後35mmにカメラを持ち替え実験映画『ステレオ/均衡の消失』(1969年)、『クライム・オブ・フューチャー/未来犯罪の確立』(1970年)を監督。 1971年ごろからはカナダ議会からの補助金を受け、フランスなどヨーロッパで生活し、3本のテレビ用作品を制作。 カナダのテレビシリーズ『Project X』用に『Secret Weapons』を製作。ほかに6本のテレビ用作品を制作後、帰国。 多くのテレビ作品を手がけたのち、1975年に肛門から侵入し宿主を操る寄生生物の恐怖を描いた『シーバース/人喰い生物の島』で劇場映画監督としてデビュー。その後は『ラビッド』(1977年)、『ファイヤーボール 1980年、超能力戦を描いた『スキャナーズ』で人気を得る。続く『ヴィデオドローム』(1983年)では興行面こそ奮わなかったが、アンディ・ウォーホールをはじめ業界筋からの評価が高く、ビデオ発売と同時にカルト的人気を博しクローネンバーグは一躍注目作家となる。また、初めて原作つきの作品『デッドゾーン』(同年)を映画化。アヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭(ジェラルメ国際ファンタスティカ映画祭の前身)で3部門を受賞。 1985年、ジョン・ランディスの『眠れぬ夜のために』で俳優としてデビュー。
プロフィール
少年時代
学生時代
監督デビューからその後