デンマーク王国憲法
Danmarks Riges Grundlov
1849年デンマーク王国憲法
施行区域 デンマーク
効力現行法
成立1849年5月25日
施行1849年6月5日
政体単一国家、立憲君主制、議院内閣制
権力分立三権分立
(立法・行政・司法)
元首国王
立法国王・フォルケティング
行政内閣(国王に帰属)
司法司法裁判所
改正5
最終改正1953年
作成制憲議会
署名フレデリク7世
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デンマーク王国憲法(デンマークおうこくけんぽう、デンマーク語:Danmarks Riges Grundlov)とは、デンマーク王国の憲法である。1849年に制定され、1866年、1915年、1920年及び1953年に改正された。硬性度が高く、解釈の余地が広いため、1953年の改正以来50年以上改正されていない[1]。
沿革
憲法制定」及び1683年制定の「クリスチャン5世のデンマーク法」という2つの法律によって規定されていた[2]。1848年、フレデリク7世が王位を継承すると、フランスの2月革命の影響により、デンマークでも民主化の要求が高まった。フレデリク7世は、絶対君主制の廃止を受け入れ、翌1849年に立憲君主制を定めた憲法が制定された。
1849年に制定された憲法では、立法権は国王と国会に連帯的に帰属することになった。国会は、議員が有権者の直接選挙で選出される下院(Folketing)と、間接選挙で選出される上院(Landsting)で構成される二院制であった[1]。行政権は、国王に帰属するとされたが、その行使には大臣の署名が必要とされ、司法権も行政権から分離された[1]。 1849年憲法は、デンマーク王国にのみ適用され、同君連合の関係にあったシュレースヴィヒ公国、ホルシュタイン公国、ザクセン=ラウエンブルク公国の3公爵領では効力を有しなかった[1]。そこで、1849年憲法とは別に、1863年には、シュレースヴィヒ公国のデンマーク系住民にも適用される1863年憲法が制定されたが、1864年にデンマーク戦争の終結後、3公爵領をプロイセン王国に割譲した結果、デンマーク王国では1849年憲法と1864年憲法の2つの憲法が併存する形になった[1]。そこで、1866年に憲法改正が行われた。 この改正により、1863年憲法に規定されていた上院議員の一部を勅選議員とする制度が導入され、上院の選挙人[注釈 1]の資格として高額な納税額が規定された[1]。また、王位継承の規定が削除され、別に「王位継承法」が制定された[3]。 1915年の憲法改正では、上院の特権的な選挙権や小選挙区制が廃止され、比例代表制や憲法改正に係る国民投票の制度が導入された[3]。また、選挙権について財産要件が廃止され、女子にも選挙権が付与された[3]。 1920年の憲法改正では、国王の権限がさらに縮小された[3]。 1939年、憲法改正案が国会を通過した。この改正案では、選挙権年齢がそれまでの25歳から23歳に引き下げられ、上院議員の選出方法を改正する内容が含まれていた[3]。しかし、国民投票による承認要件を満たさず、廃案となった。 翌1940年、デンマーク王国はナチスの占領下に置かれた。ナチスの占領から解放された後、1946年に憲法改正を検討する憲法委員会が設置され、1953年に改めて憲法改正案が国会を通過、国民投票でも承認された。 この改正により、選挙権年齢は法律で定めることとされた(29条)。また、上院が廃止され、それまでの二院制から一院制に移行した。下院と上院の多数派が異なった場合の調整規定が存在しておらず、国王の発する暫定法律で対処するということが行われていたためである[3]。
1866年改正
1915年改正と1920年改正
1953年改正憲法委員会