旗章
位置
座標 : 北緯52度00分37秒 東経4度21分20秒 / 北緯52.010342度 東経4.355655度 / 52.010342; 4.355655
デルフト(オランダ語: Delft)はオランダの南ホラント州にある基礎自治体(ヘメーンテ)。デン・ハーグ市街地の南に隣接して、一体となって広域市街を形成している。オランダの古都であり著明な観光地であるが、デルフト工科大学を擁しているため、学生街という一面もある。 この町の歴史は12世紀まで遡れる。1572年には、八十年戦争の主導者であったオラニエ公ウィレム1世がデルフトに居を構えた。デルフト旧市街のマルクト広場にある新教会には、ウィレム1世の子孫である現オランダ王室の代々のメンバーも眠っている。1654年10月12日には、弾薬庫の40トン以上の火薬が爆発しデルフト市街の4分の1が破壊され、死者100人以上、数千人が負傷する大惨事が起こった。この時画家のカレル・ファブリティウスが犠牲となり、彼の絵画の大半も失われてしまった。 16世紀はじめにイタリアから陶器であるマヨリカの製法が伝わり、陶器の製造が行われていたが、17世紀、そこにオランダ東インド会社を通じて中国から磁器が伝わったことがきっかけとなり、当時日本から輸入されていた伊万里焼の影響をも受けつつ、独特の陶器が発展、生産が行われた。青を用いて彩色され、デルフトブルーと呼ばれている。生産規模自体は縮小したものの今日でもデルフト焼として知られる。 また、画家のヨハネス・フェルメールはデルフト生まれであり、「デルフト眺望」という風景画も描いている[1]。彼の墓は市内の旧教会 (Oudekerk) にある。他にもピーテル・デ・ホーホやカレル・ファブリティウス、ニコラース・マースなどもデルフトに住んだり、デルフトで創作活動をした。 デルフト基礎自治体内には次の地区がある。
目次
1 歴史
2 文化
3 地区
4 交通
5 出身人物
6 姉妹都市
7 ギャラリー
8 脚注
9 外部リンク
歴史
文化
地区
Delft(デルフト市街地)
Abtswoude
Klein-Delfgauw
交通
道路
高速道路 A4 (E30
鉄道
オランダ鉄道 デルフト駅(アムステルダムとロッテルダムを結ぶ幹線路線上にある)アムステルダム中央駅へ、Intercityまたは快速 (Sneltrein) で所要時間1時間、運行間隔1時間に4本。
ハーグ市営交通会社 トラム1系統デルフト駅前停留所より、デン・ハーグのスパイまで所要時間25分、運行間隔1時間に4本。
出身人物詳細は「Category:デルフト出身の人物」を参照 ミハエラ・クライチェク
フーゴー・グローティウス - 法学者
アントニ・ファン・レーウェンフック - 生物学者
ヨハネス・フェルメール - 画家
ダニエル・マイテンス - 画家
ウィレム・ファン・アールスト- 画家
ヤン・ヨーステン - 航海士・貿易家
ミハエラ・クライチェク - プロテニス選手
姉妹都市、ドイツ
エステリ、ニカラグア
プレトリア、南アフリカ
アーラウ、スイス
アダパザル、トルコ
フライベルク、ドイツ
クファルサバ、イスラエル
トゥズラ、ボスニア・ヘルツェゴビナ
キングストン・アポン・テムズ王立特別区、イギリス
景徳鎮市、中国
ギャラリー
1654年の火薬庫爆発のあとのデルフトの眺望(エフベルト・ファン・デル=プール(オランダ語版)) ウィキメディア・コモンズには、デルフト
脚注”. コトバンク. 2018年5月20日閲覧。
外部リンク
⇒オランダ政府観光局 公式ページ
⇒デルフト地区 公式ページ
座標: 北緯52度00分37秒 東経4度21分20秒 / 北緯52.010342度 東経4.355655度 / 52.010342; 4.355655
更新日時:2019年2月22日(金)04:42
取得日時:2019/08/01 15:20