デルフォニックス
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デルフォニックス
The Delfonics
左からランディ・ケイン、ウィリアム・ハート、ウィルバート・ハート(2006年)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国 ペンシルベニア州フィラデルフィア
ジャンルR&Bフィラデルフィア・ソウルソウル
活動期間1965年 -
レーベルPhilly Groove、La La、Poogie
共同作業者スタイリスティックス、チャイライツ、ブルー・マジック、ドラマティックス、ブラック・アイヴォリー
公式サイトaaeg.com/delfonics/

メンバーウィルバート・ハート

旧メンバーウィリアム・ハート
ランディ・ケイン
メイジャー・ハリス

デルフォニックス(The Delfonics)は、フィラデルフィア・ソウルのボーカル・グループ。1960年代後半から1970年代前半に活躍した。

代表曲には「ララは愛の言葉(英語版)」「Didn't I (Blow Your Mind This Time)」「Break Your Promise」「Tell me This is a Dream」などがある。トム・ベルと、グループのリーダーを務めるウィリアム・ハートがこれらのの楽曲を作曲した。
来歴

1960年代にフィラデルフィアの高校で出会った、ウィリアムとウィルバートのハート兄弟、ランディ・ケインで結成。さらにリッチー・ダニエルズが加入した。最初の録音はムーン・ショットという弱小レーベルからのシングル「He Don't Really Love You」で、1966年のことだった。ダニエルズは引き抜きにより脱退(1968年)。

メンバーはカメオ・レーベルで、音楽プロデューサーのスタン・ワトソンから若き日のトム・ベルを紹介された。ベルはその頃、チャビー・チェッカーと共に仕事していた。カメオからシングル「You've Been Untrue」を発表し、小ヒットを記録した。

デビュー・アルバム『ララは愛の言葉』は、ワトソンのレーベル「Philly Groove」レコードから発売され、ここからのシングル「ララは愛の言葉」が1968年にポップ、R&B両チャートでヒットした[1]。100万枚以上売れ、ゴールドディスクとなる[2]。以降、数年間でさらに4枚、ベルのプロデュースによるアルバム『サウンド・オブ・セクシー・ソウル』『The Delfonics Super Hits』『デルフォニックス』『テル・ミー・ディス・イズ・ア・ドリーム』を発表した。「Didn't I (Blow Your Mind This Time)」はグラミー賞を受賞。「(For The Love) I Gave To You」や、後にジャクソン5フージーズがカバーした「Ready or Not Here I Come (Can't Hide from Love)」、「Hey Love」などもヒットした。

トム・ベルは「最初に彼らと仕事していたときはストリングスとかオーケストラを入れる金なんて全然なくてさ、ほとんどの楽器を僕自身が演奏してたよ」と振り返っている。1968年以降の、フル・オーケストラを使った時代とは大変な違いである。[3]

「Didn't I (Blow Your Mind This Time)」はミリオン・セラーとなり、1970年アメリカレコード協会が「ゴールドディスク」に認定した。[2]

ランディ・ケインが1971年に脱退。彼は1973年にブルー・マジックへと籍を移し、そこでは「Sideshow」がヒットした。グループには、替わりにメイジャー・ハリスが加入した。トム・ベルはスタイリスティックススピナーズのプロデュースに移っていった。デルフォニックスはアルバム『アライヴ&キッキング』をスタン・ワトソンのプロデュースで発表したがヒットせず、「Hey Love」「When You Get Right Down to It」などがわずかにヒットしたものの、1975年以降は下降線をたどっていった。トム・ベルが離れて以降、曲を書いていたのはウィリアム・ハートだった。
分裂

1975年前後にふたつのグループへと分裂。片方は、メイジャー・ハリスとウィルバート・ハート、元フューチャーズのフランク・ワシントンによるグループであった(メイジャー・ハリスはソロで「Love Won't Let Me Wait」がヒット)。

もう一方は、ウィリアム・ハートと新メンバーたちによるものだった。一時期、ふたつの「デルフォニックス」がツアーをしている状態だった。

1980年にメイジャー・ハリスが、ウィリアム・ハートの「デルフォニックス」に移り、ランディ・ケインもが戻ってきた[4]
1980年代以降

1980年代、1990年代もグループは音楽活動を続けた。ウータン・クラン一派のラッパーゴーストフェイス・キラーの1996年のアルバム『ムキムキマン (Ironman)』収録の「After the Smoke has Cleared」という曲に参加した。ノトーリアスBIGは「Hey Love」を「Playa Hata」でサンプリングしている(1997年)。1996年、ナズは「Walk Right Up To the Sun」のサビのメロディを「If I Ruled the World」で使い、当時人気絶頂だったフージーズローリン・ヒルが歌った。

ミッシー・エリオットティンバランドは「Ready Or Not Here I Come」をヒット曲「Sock it 2 Me」でサンプリング。ゴーストフェイス・キラーは「ララは愛の言葉」を「Holla」で使用。イージー・イーギャング・スター、Ed O.Gが「Trying To Make a Fool of Me」を使用。

2001年の映画『天使のくれた時間』の誕生日パーティのシーンでは、ニコラス・ケイジ扮する主人公が「ララは愛の言葉」を歌った。
影響

彼らの楽曲の使用例としては、クエンティン・タランティーノの1997年映画『ジャッキー・ブラウン』での「ララは愛の言葉(英語版)」と「Didn't I Blow Your Mind」があげられる(主演はパム・グリア)。

彼らの楽曲は、ジャクソン5ローラ・ニーロニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック、ザ・ジェッツ、トッド・ラングレンプリンススウィング・アウト・シスター、フィル・ペリー、ウィル・ダウニング、マーヴィン・ブラウンといったミュージシャンにカバーされた。
オリジナル・メンバー

1965年結成。当初は「The Four Gents」という名前だった。

ウィリアム・ハート (William Hart) 1945年1月17日-2022年7月14日
[5]ワシントンD.C.生まれ

ウィルバート・ハート (Wilbert Hart) 1947年10月19日、フィラデルフィア生まれ

ランディ・ケイン (Randy Cain) 1945年5月22日-2009年4月9日[6][7]

ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム

年題名チャート[8]レコード・レーベル
全米全米
R&B
1968ララは愛の言葉
La La Means I Love You10015Philly Groove
1969サウンド・オブ・セクシー・ソウル
Sound of Sexy Soul1558
1970デルフォニックス
The Delfonics614
1972テル・ミー・ディス・イズ・ア・ドリーム
Tell Me This Is a Dream12315
1974アライヴ&キッキング
Alive & Kicking20534
1981リターン
Return??Poogie
1999フォーエヴァー・ニュー
Forever New??Volt
2005Fonic Zone (Wil Hart Formerly of the Delfonics名義)??Universal
2013エイドリアン・ヤング・プレゼンツ・ザ・デルフォニックス
Adrian Younge Presents the Delfonics??Wax Poetics Records
「?」は、アルバムがチャート入りを逃したことを示す

コンピレーション・アルバム

年題名チャート[8]レコード・レーベル
全米全米
R&B
1969Super Hits1117Philly Groove
1990Golden Classics??Collectables
1997ララ・ミーンズ・アイ・ラヴ・ユー?ベスト・オブ・デルフォニックス
La-La Means I Love You: The Definitive Collection??Arista
1999The Very Best of the Delfonics??Audiophile
2003Platinum & Gold Collection??Arista
2005Love Songs??Legacy


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