デボラ・ハリー
Debbie Harry
1977年
基本情報
出生名デボラ・アン・ハリー(Deborah Ann Harry)
生誕 (1945-07-01) 1945年7月1日(78歳)
アメリカ合衆国・フロリダ州マイアミ
出身地 アメリカ合衆国・ニュージャージー州ホウソーン
ジャンルロック
ポップス
パンク・ロック
ニュー・ウェイヴ
ダンスミュージック
職業ミュージシャン、ヴォーカリスト、シンガーソングライター、女優
担当楽器ボーカル、パーカッション、タンバリン、フィンガーシンバル、クラリネット
活動期間1968年 - 現在
レーベルクリサリス・レコード
ゲフィン・レコード
サイアー・レコード
Eleven Seven Music
共同作業者ブロンディ
公式サイトBlondie.net
デボラ・ハリー(Deborah Harry、1945年7月1日- )は、アメリカの歌手、シンガーソングライター、女優。
デビー・ハリー(Debbie Harry)の名でも知られ、同国のロック・バンドである「ブロンディ」のボーカルを務めている。ブロンドと赤い唇が特徴[1]。
略歴ブロンディ活動初期 (1977年)
フロリダ州マイアミに、アンジェラ・トリンブル(Angela Trimble)として生まれた[2]。生後3か月で、ニュージャージー州ホーソーンに住むリチャード・ハリーとキャサリン・ハリー夫妻のもとへ養子に出された[3]。ハリー夫妻はみやげ屋を営んでおり、アンジェラの名前は「デボラ・アン・ハリー」となった。
1963年にホーソーン高校を卒業し[4]、1965年に同州ハケッツタウンにあるセンテナリー大学を卒業した[5]。1960年代後半にニューヨークに移住。BBCラジオに秘書として1年勤務。その後、ナイトクラブ「マクシズ・カンザス・シティ(Max's Kansas City)」でウェイトレスをしたり、ユニオンシティのディスコでゴーゴーダンサーをしたり、プレイボーイのバニーガールをしたりして生計を立てた。
フォーク・グループ「ウインド・イン・ザ・ウィロウズ (The Wind in the Willows)」のバックシンガーを経て、1970年代初頭に3人組のガールグループ「スティレットーズ」に参加。そのバックバンドのメンバーだったクリス・スタインらとともに1974年、ブロンディを結成。バンドは成功を収め、デボラ自身も自らの唇に保険がかけられるほどの人気を得る。バンドが成功を収めた後はソロ活動も活発化させる。5枚のソロ・アルバムを発表。
1983年、デイヴィッド・クローネンバーグ監督の『ヴィデオドローム』に出演。以後、女優としての活動も並行して行う。1997年にはブロンディを再結成させた。
ディスコグラフィ
ブロンディとしてのものは当該項のディスコグラフィを参照のこと。
ソロ・アルバム
スタジオ・アルバム
『予感』 - KooKoo (1981年)
『ロックバード』 - Rockbird (1986年)
『デフ、ダム・アンド・ブロンド』 - Def, Dumb & Blonde (1989年)
『デブラベーション』 - Debravation (1993年)
Necessary Evil (2007年)
コンピレーション・アルバム
『スーパー・ダンス・ヒット・リミックス!』 - Once More into the Bleach (1988年) ※ブロンディ時代も含む編集盤
『ザ・コンプリート・ピクチャー』 - The Complete Picture: The Very Best of Deborah Harry and Blondie (1991年) ※ブロンディ時代も含む編集盤
Deborah Harry Collection (1998年)
Most of All: The Best of Deborah Harry (1999年)
映画出演
『ヴィデオドローム』 - Videodrome (1983年、カナダ)
『ヘアスプレー』 - Hairspray (1988年、アメリカ)
『ニューヨーク・ストーリー』 - New York Stories (1989年、アメリカ)
『フロム・ザ・ダークサイド 3つの闇の物語』 - Tales from the Darkside (1990年、アメリカ)
『真夜中の殺人コール』 - Intimate Stranger (1991年、アメリカ)
『ウイッグストック』 - Wigstock: The Movie (1995年、アメリカ)