デブラ・ウィンガー
Debra Winger
スタジオ・ポートレート(1984年)
本名Mary Debra Winger
生年月日 (1955-05-16) 1955年5月16日(68歳)
出生地 アメリカ合衆国オハイオ州クリーブランドハイツ
国籍 アメリカ合衆国
職業女優
ジャンル映画、テレビドラマ、舞台
活動期間1976年 -
配偶者ティモシー・ハットン (1986年 - 90年)
アーリス・ハワード (1996年 - )
主な作品
『愛と青春の旅だち』
『愛と追憶の日々』
『永遠の愛に生きて』
『デブラ・ウィンガーを探して』
デブラ・ウィンガー(Debra Winger, 1955年5月16日 - )は、アメリカ合衆国の女優である。 デブラ・ウィンガー(本名:Mary Debra Winger)はオハイオ州クリーブランドハイツのユダヤ人家庭に生まれた。15歳で高校を卒業したのち、16歳で単身イスラエルに渡り、数か月の間キブツで過ごす[1][2]。帰国後、ウィンガーは交通事故に遭い、その結果10ヶ月間、脳出血により左半身は麻痺し、意識は戻らなかった。当初ウィンガーは二度と回復しないと宣告された。彼女は闘病生活の中で人生について考えるうちに、もしも回復したら、カリフォルニア州に移って女優になろうと決心した[3]。 ウィンガーが最初に得た役は、1977年の米テレビドラマ『ワンダーウーマン』のヒロイン、ダイアナ・プリンスの妹で、ワンダーガールであるドルシラ。最初の主演作は、1980年にジョン・トラボルタと共演した『アーバン・カウボーイ』だった。ウィンガーはこの作品で英国アカデミー賞にノミネートされた。 1982年には『キャナリー・ロウ』でニック・ノルティと共演。また同年、リチャード・ギアと主演した『愛と青春の旅立ち』でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。1986年には、『夜霧のマンハッタン』でロバート・レッドフォード、ダリル・ハンナと共演した。『ET』では、デジタル加工されたウィンガーの声が使われているが、映画にクレジットはされていない。1993年の『永遠の愛に生きて』の演技で、ウィンガーは二度目の英国アカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。 1995年、ウィンガーは映画界から離れた。2001年に、彼女の夫アーリス・ハワードが脚本を書き、監督をした『Big Bad Love』で映画に復帰をする。この映画は、彼女のプロデューサーとしてのデビューにもなった。[4] 2002年公開のロザンナ・アークエット監督・脚本・出演のドキュメンタリー映画『デブラ・ウィンガーを探して』が批評家の絶賛を浴びた。2005年のテレビ映画『コロンバインの空に コロンバイン高校事件を乗り越えて』はエミー賞にノミネートされ、ウィンガーの女優復帰を改めて印象づけた。 2012年にはブロードウェイ・デビューを果たしたが、不評で早くに閉幕することとなった[5]。 ウィンガーは1986年から1990年まで、俳優のティモシー・ハットンと結婚していた[6][7]。アラン・ルドルフ監督の『メイド・イン・ヘブン』で共演。主演はハットンで、ウィンガーは男装のカメオ出演であった。二人の間には1987年に産まれた息子のノア・ハットンがいる。1996年に映画監督で俳優のアーリス・ハワードと再婚[6][7]、1997年に息子が生まれ、現在に至る。
来歴
私生活
アカデミー賞のノミネート歴