デビッド・プライス
David Priceボストン・レッドソックスでの現役時代
(2016年8月17日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地テネシー州マーフリーズボロ
生年月日 (1985-08-26) 1985年8月26日(38歳)
身長
体重6' 5" =約195.6 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション投手
プロ入り2007年 MLBドラフト1巡目(全体1位)
初出場2008年9月14日
最終出場2022年9月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
ブラックマン高等学校
ヴァンダービルト大学
タンパベイ・レイズ (2008 - 2014)
デトロイト・タイガース (2014 - 2015)
トロント・ブルージェイズ (2015)
ボストン・レッドソックス (2016 - 2019)
ロサンゼルス・ドジャース (2021 - 2022)
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国
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デビッド・テイラー・プライス(David Taylor Price, 1985年8月26日 - )は、アメリカ合衆国テネシー州マーフリーズボロ出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 デビッド・テイラー・プライスはテネシー州マーフリーズボロで父デビー、母ボニーのもとに生まれた[1]。彼には2人兄弟がいる[1]。彼は幼少期に野球を始め、アトランタ・ブレーブスのファンで、外野手デビッド・ジャスティスがお気に入りの選手だった[2]。10代の頃、クーパーズタウン・ドリームズ・パークに通った。ブラックマン高等学校に進学し野球とバスケットボールで活躍した[3]。高校時代、防御率0.43、奪三振151を記録した。2003年と2004年にラザフォード郡MVPピッチャーに選ばれ、最終学年時にマイケル・アルコーンと共にコ・ディストリクト7AAAピッチャー賞、2002年から2004年の3年連続ラザフォード郡男子アスリート賞を受賞した。2004年、ニューメキシコ州アルバカーキで行われた高校全米選手権に出場した[1]。 2004年のMLBドラフト19巡目でロサンゼルス・ドジャースから指名を受けるが契約せず、奨学金を受けてヴァンダービルト大学に進学した[4]。ヴァンダービルト・コモドアズ野球部に所属し、3年間ピッチャーを務めた。 2005年の1年次、プライスは『ベースボール・アメリカ』誌と『コリジエイト・ベースボール』紙の両方から全米大学新人賞を受賞した。同年彼は2勝4敗、19試合中防御率2.86、奪三振92、69.1イニングで投球した[1]。この頃はまだそれほど登板させられず、プライスは野球を辞めて地元のマクドナルドで働こうと考えるようになったが、ティム・コービン
経歴
生い立ち
大学時代
2年次の2006年に9勝5敗、防御率4.16、投球110.1イニングを記録した。奪三振155は学校新記録であった一方、四球は43であった。シーズン最初の先発6回で彼はアーカンソー大学戦の17奪三振を含み平均10以上の奪三振を記録した[1]。同年、彼はゴールデンスパイク賞の最終選考の5人に残り、ロジャー・クレメンス賞では2次選考に入った[6]。全米大学野球記者協会、全米野球監督協会、サウスイースタン・カンファレンス(SEC)の全米チームに指名された[1]。同年夏、キューバで行われた世界大学野球選手権大会に出場し、8回先発してプライスは5勝1敗、防御率0.20でチームに金メダルをもたらした[1]。
3年次の2007年は11勝1敗、防御率2.63、194奪三振を記録し、前年に記録した奪三振の学校記録をさらに更新した。彼は133.1イニングで投球し、全米の奪三振投手のトップとなった。SECでの最後の先発はミシシッピ州立大学戦であった。プライスは完投し、5安打、2失点、11奪三振、無四球で9回になった。大学野球最後の先発はナッシュビル・リージョナルの初戦となるオースティン・ピー州立大学戦であった。9回5安打、1失点、2与四球、17奪三振で終了した。大学野球最高賞とされるディック・ハウザー賞[1]、ブルックス・ウォレス賞、ゴールデンスパイク賞とロジャー・クレメンス賞の両賞を受賞した[7]。
プロ入りとレイズ時代レイズ時代(2012年)
2007年のMLBドラフトでタンパベイ・デビルレイズから1巡目(全体1位)に指名を受け、8月15日に契約金560万ドルを含む6年総額850万ドルの契約を締結し入団。ただしこの契約には年俸調停権を得た場合に契約で定められた年俸を取り消して調停を受けることができる、という条項が加えられた[8]。
2008年はA+級・AA級・AAA級合計で12勝1敗・防御率2.30の好成績[9]を挙げてメジャーに昇格し、9月14日のニューヨーク・ヤンキース戦でメジャーデビュー。5試合に登板して防御率1.93を記録し、チームは球団創設以来初の地区優勝。ポストシーズンのロースター入りを果たし、ボストン・レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは3試合にリリーフ登板して相手打線を無安打に抑え、最終第7戦ではセーブを記録してリーグ優勝に貢献。一躍ヒーローとなった[10]。