デビッド・バウティスタ
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バティスタ

プロフィール
リングネームバティスタ
デイヴ・バティスタ
ディーコン・バティスタ
リバイアサン
カーン
本名デイヴィッド・マイケル・バウティスタ・ジュニア
ニックネーム野獣
身長194cm
体重125kg
誕生日 (1969-01-18) 1969年1月18日(55歳)
出身地 アメリカ合衆国
バージニア州アーリントン
所属WWE
スポーツ歴ボディビル
バレーボール
レスリング
トレーナーアファ・アノアイ
デビュー1999年
引退2019年
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デイヴ・バウティスタ
David Bautista
活動期間2009 -
配偶者Glenda Bautista
(m. 1990; div. 1998)
Angie Bautista
(m. 1998; div. 2006)
Sarah Jade
(m. 2015; sep. 2019)
主な作品
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズ
007 スペクター
キックボクサー リジェネレーション
ブレードランナー 2049
アベンジャーズ』シリーズ
大脱出』シリーズ
イップ・マン外伝 マスターZ
アーミー・オブ・ザ・デッド
デューン』シリーズ
ナイブズ・アウト: グラス・オニオン

 受賞
放送映画批評家協会賞
アンサンブル演技賞
2022年ナイブズ・アウト: グラス・オニオン
その他の賞

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デイヴ・バウティスタ(Dave Bautista, 1969年1月18日 - )は、アメリカ合衆国俳優で、元プロレスラー。バティスタ(Batista)のリングネームで知られる。バージニア州アーリントン出身(WWEではワシントンD.C.出身とコールされている)。腕には「天使」「武」と漢字タトゥーを入れている。ニックネームはAnimal(アニマル、野獣の意)。
経歴
キャリア初期

父はフィリピン人、母はギリシャ人のハーフ。幼い頃に両親が離婚したため、双方の家を行き来しながら育った。ボディビルダーを志すが断念。酒場の用心棒として働き、アファ・アノアイが主宰する団体であるWXW(World Xtreme Wrestling)にて二十代後半ながらプロレスのトレーニングを始めた。1999年、カーンのリングネームでプロレスラーとしてのキャリアを開始。

2000年WWFに入団し、傘下団体であるOVWにてリバイアサンなる怪奇派ギミックで活動し、ディサイプルズ・オブ・シンの一員として活躍。2001年11月29日にはザ・マシーンからOVWヘビー級王座を奪取し、2002年にはプロトタイプとOVWヘビー級王座を巡って抗争を展開した。

2002年5月、WWEに昇格。リングネームをバティスタへと変更し、宣教師ギミックをしていたディーボン・ダッドリーの助祭司兼用心棒として、SmackDown!に初登場した。同年11月にはRAWへと移籍。

2003年トリプルH率いるエボリューションの一員になるも、負傷により約半年の欠場を余儀なくされたが、復帰後はリック・フレアーとタッグを組み、WWE世界タッグ王座を二度獲得。2003年末から2004年春にかけてのエボリューションによるRAW内タイトル独占に貢献した。
2005年2005年

OVW時代より一貫してヒールだったが徐々に観客の声援を集めるようになり、2005年に入るとロイヤルランブルで優勝。ベビー・ターンを果たし、WrestleMania 21にて当時王者であったトリプルHを破って、世界ヘビー級王座を獲得した。その後、バックラッシュヴェンジェンスと、三回連続でトリプルHに勝利。ヴェンジェンスではWWEの試合形式では最も過酷なものの一つとされるヘル・イン・ア・セルを経験。

同年に行われたドラフトにより世界ヘビー級王座を持ったままSmackDown!に移籍し、早速JBLと世界ヘビー級王座をめぐって抗争を繰り広げ、グレート・アメリカン・バッシュサマースラムと続けてJBLを下し、王座を守り抜いて見せた。その後はエディ・ゲレロとの「友情ストーリー」が始まり、10月、ノー・マーシーにてエディと防衛戦を行い、勝利する。11月1日に行われた、RAWのPPVタブー・チューズデイでは、ストーン・コールド・スティーブ・オースチンの代役として急遽出場。その後もエディとの微妙な関係が続いたが、同年11月13日のエディの死去をもってこのストーリーは終結している。

サバイバー・シリーズにて行われるRAW対SmackDown!の全面対抗戦において、SmackDown!側の主将を務めるが、11月の同番組収録時に登場したRAW所属のケインビッグ・ショーのダブルチョークスラムを受けた際に背中の筋断裂の重傷を負った。重傷を負いながらもWWEの興行には参加し続け、エディの親友であったレイ・ミステリオとのタッグでWWEタッグ王座も獲得し二冠王となった。しかし2006年1月に行われたハウス・ショーにおいて、新たなライバルとなっていたマーク・ヘンリーとの試合中に上腕三頭筋を断裂。長期休業に入らざるを得なくなったため、世界ヘビー級王座を返上した。
2006 - 2007年2006年SmackDown!のハウス・ショー

7月7日、SmackDown!にて復帰。The Great American Bash 2006でヘンリーと対戦する予定であったが、サタデーナイト・メインイベントでヘンリーが怪我をして離脱したため、対戦相手がケン・ケネディに変更された。この試合でも反則負けを喫し、その後もなかなか王座を奪回出来ずにいたため大スランプとまで評されたが、11月26日サバイバー・シリーズキング・ブッカーを破り、2度目の世界ヘビー級王座を獲得した。


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