デビッド・ジャスティス
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デビッド・ジャスティス
David Justice
2011年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地オハイオ州シンシナティ
生年月日 (1966-04-14) 1966年4月14日(58歳)
身長
体重6' 3" =約190.5 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション外野手右翼手
プロ入り1985年 ドラフト4巡目
初出場1989年5月24日
最終出場2002年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


アトランタ・ブレーブス(1989 - 1996)

クリーブランド・インディアンス(1997 - 2000)

ニューヨーク・ヤンキース(2000 - 2001)

オークランド・アスレチックス(2002)

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

デビッド・クリストファー・ジャスティス(David Christopher Justice, 1966年4月14日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州シンシナティ出身の元プロ野球選手右翼手)。

アカデミー主演女優賞を受賞したハル・ベリーは元妻。
経歴

1985年MLBドラフト4巡目でアトランタ・ブレーブスから指名を受け入団。

1989年5月24日ピッツバーグ・パイレーツ戦でメジャーデビュー。当時右翼のポジションには、1988年以降不振だったとはいえ、1983年MVPを獲得した実績のある強打者デイル・マーフィーがいたため、16試合の出場に終わる。1990年は当初一塁手として出場していたが、シーズン途中でマーフィーがフィラデルフィア・フィリーズにトレードで放出されたことで、右翼のポジションを獲得すると一気に調子を上げ、打率.282・28本塁打・78打点を記録し、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞した[1]

1991年は故障もあり109試合の出場に留まるが、21本塁打・87打点を記録。チームは前年の地区最下位から一転して地区優勝。パイレーツとのリーグチャンピオンシップシリーズを激戦の末に制し、アトランタ移転後初のリーグ優勝を果たす。前年地区最下位同士の対戦となったミネソタ・ツインズとのワールドシリーズでは2本塁打を記録したが、3勝4敗で敗退した。1992年は21本塁打・72打点を記録し、2年連続の地区優勝に貢献。前年に続きリーグチャンピオンシップシリーズでパイレーツを破り、2年連続のリーグ制覇。トロント・ブルージェイズとのワールドシリーズでは打率.158と不振で、2勝4敗で敗退。1993年オールスターゲームに初選出され、先発出場を果たした。40本塁打・120打点を記録し、3年連続の地区優勝に貢献する。フィラデルフィア・フィリーズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.143と振るわず、チームは2勝4敗で敗退した。シルバースラッガー賞を初受賞し、MVPの投票では3位に入った。

1994年オールスターゲームで2年連続の先発出場。ストライキでシーズンが打ち切られたが、自身初の打率3割となる.313・19本塁打を記録。1995年には24本塁打・78打点を記録、チームは独走で地区優勝。プレーオフも勝ち抜いて3年ぶりのリーグ優勝を果たした。クリーブランド・インディアンスとのワールドシリーズでは、王手をかけて迎えた第6戦で6回に0対0の均衡を破る先制ソロ本塁打を放つ。この1点をトム・グラビンマーク・ウォーラーズの継投で守り切り、38年ぶり、アトランタ移転後は初となるワールドチャンピオンの立役者となった。1996年は5月のパイレーツ戦で肩を負傷して離脱し、以後のシーズンを棒に振った。チームは2年連続でリーグ優勝を果たしたが、ワールドシリーズニューヨーク・ヤンキースに敗れた。

1997年は開幕直前の3月25日ケニー・ロフトンアラン・エンブリーとの交換トレードでマーキス・グリッソムと共にインディアンスに移籍。3年ぶりにオールスターゲームに選出されたが出場機会はなかった。打率.329・33本塁打・101打点・OPS1.013を記録し、前年限りで移籍したアルバート・ベルの抜けた穴を埋める活躍で、チームをリーグ優勝に導いた。フロリダ・マーリンズとのワールドシリーズでは3勝4敗で敗退した。MVPの投票では5位に入り、2度目のシルバースラッガー賞、カムバック賞も受賞した。1998年1999年はいずれも21本塁打・88打点。2000年6月29日にザック・デイ、リッキー・レディジェイク・ウェストブルックとの交換トレードでヤンキースに移籍。移籍後は打率.305・20本塁打の活躍でチームの地区優勝に貢献。シーズン通算ではキャリアハイの41本塁打・118打点を記録した。シアトル・マリナーズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは2本塁打を放ち、シリーズMVPを獲得。44年ぶりの「サブウェイ・シリーズ」となったニューヨーク・メッツとのワールドシリーズを4勝1敗で制し、自身2度目の世界一の栄誉を手にした。

2001年は打率.241・18本塁打・51打点に終わるが、チームはリーグ優勝し自身6度目となるワールドシリーズに出場。しかしアリゾナ・ダイヤモンドバックスに3勝4敗で敗退した。12月7日ロビン・ベンチュラとの交換トレードでメッツに移籍するが、7日後の12月14日に2選手との交換トレードでオークランド・アスレチックスに移籍。2002年フリーエージェントでヤンキースに移籍したジェイソン・ジアンビの後釜として期待されたが、11本塁打・49打点に留まり、同年限りで現役引退。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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