デビッド・オルティーズ
David Ortiz ボストン・レッドソックスでの現役時代
(2014年3月31日)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国
アメリカ合衆国
(二重国籍)[1]
出身地 ドミニカ共和国
首都地区サントドミンゴ
生年月日 (1975-11-18) 1975年11月18日(48歳)
身長
体重6' 4" =約193 cm
250 lb =約113.4 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション指名打者、一塁手
プロ入り1992年
初出場1997年9月2日
最終出場2016年10月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
ミネソタ・ツインズ (1997 - 2002)
ボストン・レッドソックス (2003 - 2016)
国際大会
代表チーム ドミニカ共和国
WBC2006年、2009年
アメリカ野球殿堂 殿堂表彰者
選出年2022年
得票率77.9%
選出方法BBWAA選出
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デビッド・アメリコ・オルティーズ・アリアス(David Americo Ortiz Arias[注釈 1], 1975年11月18日 - )は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身の元プロ野球選手(指名打者)。愛称はビッグ・パピ(後述)。
引退後の2017年に背番号「34」がボストン・レッドソックスの永久欠番となった。2022年にアメリカ野球殿堂入りを果たした。
10度のMLBオールスター出場、3度のワールドシリーズチャンピオン、7度のシルバースラッガー賞、2006年にはレッドソックスの球団記録である年間54本塁打を達成している。 1975年11月18日にドミニカ共和国のサントドミンゴに生まれた。貧しい生活だったが、オルティーズは「よい家族に恵まれ、よい教育も受けさせてもらった」と述べている[2]。 地元のエスピヤート・エスパイヤ高等学校を卒業後、1992年11月28日に17歳でシアトル・マリナーズと契約を結んだ。登録名は「デビッド・アリアス」であった。マイナーリーグのウィスコンシン・ティンバー・ラトラーズで活動していた。 1996年9月13日に後日発表選手としてデーブ・ホリンズとのトレードでミネソタ・ツインズへ移籍した。この時「デビッド・オルティーズ」として登録した。ツインズ傘下AAA級ソルトレイクにいたころから「打球を遠くに飛ばすことにかけては右に出るものがいない左バッター」として注目されていた[3]。 1997年9月2日にメジャーデビューするが、メジャーとマイナーの間を行き来するようになる。 1999年にはAAA級ソルトレイク・ビーズで30本塁打を記録し、将来の大砲として期待されるようになった[4]。 2001年に右手首の手術をしたが、2002年にはMLBで自身2度目のシーズン100試合以上出場を果たし、打率.272・20本塁打・75打点の成績を残したが、ツインズのチームカラーであるスモールボールにオルティーズは息苦しさを感じていた。打席での積極性を逆手に取られ厳しい速球を手元に投げられて打ち取られることが多く、故障も多かった。オフの12月16日にFAとなった[2]。 2003年1月22日にボストン・レッドソックスと契約[5]。移籍1年目から「5番・指名打者」に定着して初めて規定打席に到達し、打率.288・31本塁打・101打点の成績を残し、同年のMVP投票で5位につけた。 2004年には主に4番を打ち、139打点(リーグ2位)・打率.301・41本塁打(リーグ2位)の活躍を見せた。3部門以外でも47二塁打・75四球・出塁率.380・長打率.603・150試合出場と抜群の強打を発揮している。5月には2年総額1250万ドルで契約延長した[6]。マニー・ラミレスと「打率.300・40本塁打・100打点」コンビを形成したが、これは1931年のベーブ・ルースとルー・ゲーリッグのコンビ(ニューヨーク・ヤンキース)以来だった。 ポストシーズンではさらに勝負強さを発揮し、強く印象付けた[4]。
経歴
プロ入り前
プロ入りとマリナーズ傘下時代
ツインズ時代
レッドソックス時代
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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