この項目では、音響機器ブランドのDENONについて説明しています。音楽レーベルのDENONについては「日本コロムビア#サブレーベル」をご覧ください。
UNI-PEXブランドの「日本電音」とは異なります。
デノン(DENON)は、米国のSound United LLC傘下のAV機器企業である株式会社ディーアンドエムホールディングスの機能子会社である株式会社デノンコンシーマーマーケティングの音響機器のブランドのひとつ。株式会社デノンは、かつて2001年4月1日から2005年3月31日まで同ブランドの音響機器を製造・販売していた企業である。 "DENON" およびその片仮名読みである「デンオン」は1939年(昭和14年)に設立された株式会社日本電音機製作所とそのブランド名に由来する[1]。 組織としては1934年(昭和9年)の日本電気音響研究所がルーツで、1939年(昭和14年)に株式会社となり、上記の株式会社日本電音機製作所となった。1944年(昭和19年)には日本電気音響株式会社と社名を変えた。1947年(昭和22年)に日本コロムビア株式会社の系列下となり[2]、1963年(昭和38年)には吸収合併され日本コロムビアの音響機器事業のブランド名となったが、2001年(平成13年)に日本コロムビアの経営再建のため株式会社デノンとして分社化され売却された。 上述のように "DENON" は社名の「電音機」に由来し、本来読みは「デンオン」であるが、海外では発音しにくいため「デノン」と呼ばれていた。新会社には「デンオン」の商標も譲渡されたが、国際的に通用する「デノン」が採用された。商標譲渡後も日本コロムビアのレーベルとして "DENON" は使われている(後述)。 1934年(昭和9年)、坪田耕一 当時はまだ磁気テープ録音機の音質が実用にならないほど悪く、録音/再生は円盤録音機やオプティカル・サウンドで行われていた。円盤録音機はレコード会社などで使用されていたが大形のもので移動できなかった。オプティカル・サウンドはトーキーに使われるもので映像も一緒に撮れるが、現像を済ませないと再生できなかった。そのような時代の中、1936年(昭和11年)に行われたベルリンオリンピックの放送にテレフンケン製の小形円盤録音機が使用され、録音して直ちに再生できる即時性が放送に貢献した。その威力を知った日本放送協会 (NHK)は1940年(昭和15年)に開催が予定されていた東京オリンピックに向けてテレフンケン製円盤録音機を導入するとともに、国内企業による国産化を目論んだ。その中には国産初の円盤録音機を完成させた坪田も当然含まれていた。ただし東京オリンピックは1938年(昭和13年)7月に実施の返上が決定された。
ブランド名および事業遷移
2001年(平成13年)10月1日 - 日本コロムビアのAV(オーディオ&ビジュアル)機器製造部門が分離独立し、株式会社デノン設立。リップルウッド子会社のニューデノンが日本コロムビアからデノン株式を98%買収し、連結子会社化する。
2002年(平成14年)5月14日 - 日本マランツ株式会社と株式移転によって株式会社ディーアンドエムホールディングスを設立し、同社の完全子会社になる。
2005年(平成17年)4月1日 - 株式会社ディーアンドエムホールディングスと合併し、民生機の販売会社である株式会社デノンコンシューマーマーケティングを分割する。D&Mホールディングス傘下のブランドカンパニーにはマランツ・マッキントッシュ・ラボ・D&Mプロフェッショナル・SNELL・ボストンアコースティックなどがあるが、合併後も各々の設計部や販売網は独立して現在[いつ?]は管理部門のみを統合しており、マランツ等との差別化はできている。
日本電気音響研究所