デニス・レナード
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デニス・レナード
Dennis Leonard基本情報
国籍
アメリカ合衆国
出身地ニューヨーク州ブルックリン
生年月日 (1951-05-08) 1951年5月8日(73歳)
身長
体重6' 1" =約185.4 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1972年 ドラフト2巡目
初出場1974年9月4日
最終出場1986年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


カンザスシティ・ロイヤルズ(1974 - 1986)

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

デニス・パトリック・レナード(Dennis Patrick Leonard, 1951年5月8日 - )は、メジャーリーグベースボールの元選手。ポジションは投手アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリン出身。
経歴

1972年MLBドラフトカンザスシティ・ロイヤルズから2巡目に指名を受け入団。1973年にA級で15勝9敗・防御率2.58を記録。1974年はAAA級で12勝13敗・防御率3.47を記録し、9月4日シカゴ・ホワイトソックス戦でメジャーデビュー。その後4試合に先発したが全て敗戦投手となる。1975年も開幕をAAA級で迎えたが、5月にメジャー昇格。5月16日ボストン・レッドソックス戦でメジャー初完投・初勝利。後半戦で7連勝を含む10勝を挙げ、シーズン通算で15勝7敗・防御率3.77を記録する。1976年7月9日デトロイト・タイガース戦でメジャー初完封を挙げるなど17勝10敗・防御率3.51を記録し、チームの球団創設以来初の地区優勝に貢献。ニューヨーク・ヤンキースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは2試合に先発するが防御率19.29と打ち込まれ、チームも2勝3敗で敗退した。1977年は後半戦で11勝3敗・防御率2.64をマークし、20勝12敗・防御率3.04・244奪三振を記録し、ジム・パーマーら2人と並んで最多勝のタイトルを獲得し、チームは2年連続の地区優勝。前年に続きヤンキースとの対戦となったリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発し自責点1で完投勝利。第5戦では8回を終了して3-2とリードし、初のリーグ優勝まで後1イニングとなった9回表に登板したが、1死も取れずに降板。後続が打たれて逆転を許し敗戦投手となる。サイ・ヤング賞の投票では4位に入った。1978年も後半戦で12勝6敗・防御率2.89と調子を上げ、リーグ最多タイの40試合に先発し21勝17敗・防御率3.33を記録し、チームは地区3連覇を果たす。3年連続の対戦となったヤンキースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦に先発し敗戦投手。第4戦では同年25勝のロン・ギドリーと投げ合い2失点で完投するも敗戦投手となり、1勝3敗で敗退した。1979年はリーグ最多タイの5完封を記録したものの安定感は今ひとつで、14勝12敗・防御率4.08の成績だった。

1980年は序盤不調も後半戦で13勝4敗・防御率3.05をマーク。リーグ最多の38試合に先発し、被本塁打と自責点でリーグワーストながら20勝11敗・防御率3.79を記録し、チームの2年ぶりの地区優勝に貢献。4度目の対戦となったヤンキースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第2戦に先発、9回途中2失点の好投で勝利投手となり、チームは3連勝でヤンキースを下して雪辱を果たし、球団創設以来初のリーグ優勝を飾った。フィラデルフィア・フィリーズとのワールドシリーズでは第1戦に先発したが、4回途中6失点でノックアウト。第4戦では8回途中3失点で勝利投手となるが、チームは2勝4敗で敗退した。1981年は13勝11敗、キャリアハイの防御率2.99、共にリーグ最多の26先発・201.2イニングを記録。50日間に及ぶストライキでシーズンが短縮された影響で前後期制の変則日程となり、チームは後期優勝。オークランド・アスレチックスとのディビジョンシリーズでは第1戦に先発したが、8回4失点(自責点1)で敗戦投手となり、チームも3連敗で敗退した。

1982年は故障で2ヶ月戦線離脱。故障を挟んで7連勝を記録したものの10勝6敗・防御率5.10に終わる。1983年5月28日の登板を最後に離脱し、10試合の登板で6勝に留まる。1984年は1年間プレイできず、1985年9月に復帰。チームは初のワールドシリーズ制覇を果たしたが、ポストシーズンの出場資格がなかったためロースター入りはならなかった。1986年は序盤好調で5月まで防御率1点台を維持したが、その後7連敗を喫するなど得意の後半戦で調子を落とし、8勝13敗・防御率4.44に終わる。12月22日に解雇され、引退。
詳細情報
年度別投手成績




















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I
P

1974KC5400-040--.00010522.0280120380015135.321.82
1975323080-1570--.682916212.12121890491464098893.771.42
19763534162-17100--.6301072259.02471670511150711131013.511.22
19773837215-20121--.6251186292.2246187908244142117993.041.11
19784040204-21170--.5531218294.22832778791831201251093.331.23
19793232125-14120--538966236.0226335632126801171074.081.20
1980383893-20110--.6451172280.12713080511551211271183.791.25
1981262692-13110--.542837201.22021541531075179672.991.21
1982212120-1060--.625579130.2145204632584082745.101.46
1983101010-630--.66727063.06931910311029263.711.40
19852000-000----72.010000100000.000.50
1986333052-8130--.381821192.220722516411461106954.441.34
通算:12年31230210323-1441061--.57691492187.021372026223952132373610088983.701.26


各年度の太字はリーグ最高

タイトル

最多勝利 1回:1977年

表彰 

ハッチ賞 1回:1986年

外部リンク

選手の通算成績と情報 Baseball-Reference
、The Baseball Cube






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