デニス・ホールトン
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デニス・ホールトン
Dennis Houlton巨人時代
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地カリフォルニア州フラートン
生年月日 (1979-08-12) 1979年8月12日(44歳)
身長
体重193 cm
107 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り2001年 ドラフト11巡目 (全体326位) でヒューストン・アストロズから指名
初出場MLB / 2005年4月9日
NPB / 2008年4月11日
KBO / 2014年3月29日
最終出場MLB / 2007年9月30日
NPB / 2013年10月3日
KBO / 2014年7月23日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


パシフィック大学

ロサンゼルス・ドジャース (2005, 2007)

福岡ソフトバンクホークス (2008 - 2011)

読売ジャイアンツ (2012 - 2013)

起亜タイガース (2014)

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

デニス・ショーン・ホールトン・ジュニア(Dennis Sean "D.J." Houlton Jr.、1979年8月12日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州フラートン出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

福岡ソフトバンクホークス時代は「D.J.ホールトン」、読売ジャイアンツ時代は「デニス・ホールトン」という登録名であった。
経歴
アマチュア時代

1997年MLBドラフト55巡目でシアトル・マリナーズに指名されるが、契約せずパシフィック大学に進学。在学中の2001年5月11日、対カリフォルニア大学リバーサイド校戦でノーヒットノーランを達成した。
アストロズ・ドジャース時代

同年のMLBドラフト11巡目でヒューストン・アストロズに指名され、6月9日に契約した。2002年までは1A、2003年から2004年は2Aで過ごした後に、12月13日のルール5ドラフトロサンゼルス・ドジャースに指名され、移籍した。

2005年は初のメジャー昇格を果たし、35試合登板(19試合先発)で6勝9敗、防御率5.16という成績を残した。オフにGMのポール・デポデスタ、監督のジム・トレーシーが解任され首脳陣が一新された2006年はメジャーに昇格できず、3Aでも9勝11敗、防御率5.60と不振だった。2007年はシーズン前半を3Aで過ごしたが、7月にメジャーに昇格。18試合にリリーフ登板して0勝2敗、防御率4.18だった。

シーズン終了後、福岡ソフトバンクホークスが緊急補強リストの筆頭候補に上げ、ドジャースからソフトバンクへ契約が譲渡された。
ソフトバンク時代

2008年1月31日、ソフトバンクと契約合意[1]。背番号は00、登録名は「D・J・ホールトン」。 

2008年はキャンプ中の故障で出遅れるも、4月11日の対埼玉西武ライオンズ戦で中継ぎとして初登板を果たすと、三者連続三振で切り抜けた。その後、小椋真介久米勇紀と共にリリーフ陣の一角として活躍するが、やがて打ち込まれる試合が増えていき、一度は二軍に降格。後半戦から先発に配置転換されると、安定した投球で北京五輪によって離脱した和田毅杉内俊哉の穴を埋める救世主的存在に成長した。しかし、徐々に対戦相手に研究されたことで打ち込まれたり、好投しても打線の援護が無く勝ち星が伸び悩んだ。

背番号を54に変更した2009年は、開幕から先発ローテーションに入り、杉内と並んで左右の両輪として活躍。9月5日の対西武戦で10勝目を挙げた。この年はリーグ優勝を果たした北海道日本ハムファイターズ戦に強く、6試合の登板で4勝を挙げた。

2010年5月19日の対阪神タイガース戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)で右脚を痛め、21日に登録抹消された。7月19日の対西武戦で勝利を挙げたが、9月1日に再び抹消された。10月16日のクライマックスシリーズ・ファイナルステージ第3戦(対千葉ロッテマリーンズ戦)で好投して勝利を挙げたが、同年オフに球団から大幅減俸を提示され、残留交渉が難航したことにより保留選手名簿から外れ[2]、12月2日に自由契約選手として公示された[3]。その後も交渉が続けられた結果、ホールトンが減俸を受け入れて残留することが決まった[4]。1月14日に再契約[5]

2011年は開幕から安定した投球を見せ、4月20日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(北九州市民球場)でシーズン初勝利。4月27日の対日本ハム戦では自身初の完封勝利を挙げたほか、武田勝の対ソフトバンク戦の連勝を6で止めた。7月12日の対楽天戦で2年ぶりとなる10勝目を挙げた。9月13日の対西武戦(ヤフードーム)で15勝目を記録。最終的に19勝を挙げ、田中将大と並び最多勝のタイトルを獲得し、リーグ優勝に貢献した[6]。この年に行われたクライマックスシリーズファイナルステージ(対西武)は、ホールトンが先発登板する前に3連勝(1勝のアドバンテージを含む4勝0敗)したことにより登板機会がなかった。11月16日、日本シリーズ第4戦に先発し、5回を投げて勝利投手となり、日本一に貢献[6]。オフに(2010年オフと同様に)残留交渉が難航し、保留選手名簿から外れ、自由契約となった[7]
巨人時代

2011年12月16日、読売ジャイアンツと2年総額500万ドルでの契約合意が発表された。背番号はソフトバンク時代と同じ54[8]、巨人での登録名は「デニス・ホールトン」となった。

2012年は8月11日の東京ヤクルトスワローズ戦で、2011年6月15日のオリックス・バファローズアルフレッド・フィガロ以来、自身初&この年12球団初の投手でソロホームランを放った。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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