デニス・プシーリン
Дени?с Влади?мирович Пуши?лин
プシーリン(2022年)
ドネツク人民共和国首長
代行
現職
デニス・ウラジミロビッチ・プシーリン(ロシア語: Дени?с Влади?мирович Пуши?лин 発音 [d???n?is vl??d?im??r?v??t? p????l??n]、ウクライナ語: Дени?с Володи?мирович Пуши?л?н、1981年5月9日[2] - )は、ウクライナ・ドネツク地方出身の政治家である。現在、ロシア連邦内ドネツク人民共和国の首長代行。自称独立国家時代のドネツク人民共和国の首長も務めた。
2018年8月31日に当時のDPR首長アレクサンドル・ザハルチェンコが暗殺されたため、DPRの人民評議会議長であったプシーリンが9月7日より首長代行に任ぜられ[3][4][5]、同年11月の選挙で当選し正式に首長に就任した[6]。 1981年5月9日、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の鉱業都市マキイフカに生まれた[7][2]。両親はマキイフカ冶金工場の労働者であった[2]。幼少期から青年期をマキイフカで過ごし[8]、1998年に第1マキイフカ・リケウム(中等教育と専門教育を組み合わせた学校)を卒業した。 プシーリンは1999年から2000年にかけて、ウクライナ国家親衛隊のクリミア半島特別任務大隊に所属した[2]。除隊後、2000年代になってからはドンバス国立土木建築アカデミー 1989年にセルゲイ・マブロジ
若年期
MMMへの関与
2011年、マブロジは新たなポンジ・スキーム商法「МММグローバル(ロシア語版、英語版)」を始めた。プシーリンは2011年から2013年まで、この新詐欺商法のウクライナにおけるリーダーの一人として活躍した[11][12]。プシーリンはMMMグローバルがピラミッドスキーム(無限連鎖講)であることを公に認め、同社との関わりを喧伝した[13][14][15]。 2012年、マブロジが新党МММを結成する[16]と、プシーリンも新党に参加[11]。ちなみにМММは「ウクライナ語: Ми Ма?мо Мету」(我らの目標は一つ)の頭文字から取ったと言われている。 2013年12月15日に実施された2012年ウクライナ最高議会選挙の再選挙において、キーウ州の単純多数決選挙区94番から出馬したプシーリンは、わずか0.08%の得票率にとどまり落選した[17][18]。プシーリンの(わずか1ページの)選挙プログラムには、ウクライナの現在の国境線の変更を望む声明は含まれていなかった[1]。また、この際の選挙活動ではロシア人やロシア語話者の保護を訴えるような活動は特段みられなかった[17]。のちにこの出馬に関して「実験のようなものだった。ヴィクトル・ヤヌコーヴィチには反対の立場で、平和的な方法で彼を排除したかった」と語っている[19]。 2014年2月以降、クリミア、ドネツィク州、ルハンシク州の行政庁舎が親ロシア派の武装勢力によって占拠される事件が相次いで発生した。 ドネツィクでは4月7日に州政府の庁舎が占拠され、同日デモ隊らがドネツク人民共和国(DPR)の建国を宣言した[20]。プシーリンは親ロシア派からも「名前を聞いたことがない」と言われるほど無名の存在であったが、この混乱の際に指導者として頭角を現した[17]。
政治活動
ドネツク人民共和国詳細は「ウクライナ紛争 (2014年-)」を参照