デニス・エカーズリー
Dennis Eckersley2008年のMLBオールスターゲームパレードにて
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地カリフォルニア州オークランド
生年月日 (1954-10-03) 1954年10月3日(69歳)
身長
体重6' 2" =約188 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1972年 ドラフト3巡目(全体50位)でクリーブランド・インディアンスから指名
初出場1975年4月12日
最終出場1998年9月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
クリーブランド・インディアンス (1975 - 1977)
ボストン・レッドソックス (1978 - 1984)
シカゴ・カブス (1984 - 1986)
オークランド・アスレチックス (1987 - 1995)
セントルイス・カージナルス (1996 - 1997)
ボストン・レッドソックス (1998)
アメリカ野球殿堂 殿堂表彰者
選出年2004年
得票率83.20%
選出方法BBWAA[:en]
デニス・リー・エカーズリー(Dennis Lee Eckersley, 1954年10月3日 - )は、MLBの元プロ野球選手(投手)。アメリカ合衆国カリフォルニア州オークランド出身。右投右打。ニックネームは「Eck」。
現役時代は、1987年から1995年にかけてオークランド・アスレチックスの絶対的なクローザーとして活躍。最多セーブ投手に2回輝き、通算390セーブを記録した。2004年、アメリカ野球殿堂入りを果たした[1]。 1972年のMLBドラフトでクリーブランド・インディアンスから3巡目に指名を受け入団。 1974年はAA級で14勝3敗、防御率3.40を記録。 1975年4月12日のミルウォーキー・ブルワーズ戦でメジャーデビュー。デビューから10試合で1勝2セーブ、防御率0.00を記録し、メジャー初先発となった5月25日のオークランド・アスレチックス戦で完封勝利。以降先発ローテーション入りし、新人ながら13勝7敗、防御率2.60を記録するが、ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では得票なしだった。 1976年は初の開幕投手を務めるが、前半戦は4勝8敗、防御率4.95と不調。8月13日のテキサス・レンジャーズ戦では敗戦投手となるもののキャリアハイの14奪三振を記録するなど後半戦で防御率2.41と調子を上げ、13勝12敗、防御率3.43、キャリアハイの200奪三振を記録した。1977年 1977年は5月30日のカリフォルニア・エンゼルス戦でノーヒットノーランを達成。オールスターゲームに選出されるなど14勝を記録した。 1978年開幕直前の3月30日に4選手との交換トレードで、フレッド・ケンドールと共にボストン・レッドソックスに移籍。 4月は0勝だったが5月に5勝を記録するなど前半戦で10勝を記録。後半戦で防御率2.62、11完投と調子を上げ、リーグワーストの30被本塁打ながら20勝8敗、・防御率2.99、16完投を記録。チームは一時ニューヨーク・ヤンキースに最大14ゲーム差を付けるが9月に逆転され、シーズン最終戦に同率で並ぶものの、ワンゲームプレイオフで敗れて地区優勝を逃した。サイ・ヤング賞の投票では4位に入る。 1979年は7月11日から7連続完投を含む8連勝。直後から5連敗を喫するが、17勝10敗、防御率2.99、17完投の好成績。 1980年は開幕から不調で5連敗を喫し、5月に離脱するなど12勝14敗に留まる。 1981年は50日間に及ぶストライキの影響で9勝。 1982年は5年ぶりにオールスターゲームに選出されて先発投手を務め、13勝。 1983年は5年連続で開幕投手を務めるが不安定な投球が続き、9勝13敗、防御率5.61と不振に陥る。 1984年5月25日にビル・バックナーとの交換トレードで、1選手と共にシカゴ・カブスに移籍。 移籍後も当初は不安定だったが徐々に復調。10勝、防御率3.03を記録し、チームの地区優勝に貢献。サンディエゴ・パドレスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは2連勝で王手をかけた後の第3戦に先発したが、6回途中5失点で敗戦投手。チームはその試合から3連敗で39年ぶりのリーグ優勝を逃した。オフにFAとなるが再契約。 1985年は好調だったが途中故障で離脱するなど11勝。 1986年は6勝11敗、防御率4.57と不本意な成績に終わる。後にこの時期アルコール使用障害によって苦しんでいたことを告白した。 1987年開幕直前の4月3日にマイナー3選手との交換トレードで、1選手と共に故郷のオークランド・アスレチックスに移籍。 移籍後は監督トニー・ラルーサの方針によってリリーフに転向し、ジェイ・ハウエルの故障に伴いクローザーに昇格する。同年は6勝8敗16セーブを記録し復活。 1988年は開幕から12連続セーブを記録し、6年ぶりにオールスターゲームに選出される。4勝2敗45セーブ、防御率2.35の成績で最多セーブのタイトルを獲得し、チームの地区優勝の原動力となる。古巣レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは全4試合に登板して4セーブを挙げシリーズMVPを獲得し、14年ぶりのリーグ優勝に貢献。
経歴
クリーブランド・インディアンス(1972年 - 1977年)
ボストン・レッドソックス(1978年 - 1984年)
シカゴ・カブス(1984年 - 1986年)
オークランド・アスレチックス(1987年 - 1995年)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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