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デッカ・レコード
Decca Records
親会社ユニバーサル ミュージック グループ
設立1929年 (95年前) (1929)
設立者エドワード・ルイス
販売元.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}
デッカ・ミュージック・グループ (英国)
ヴァーヴ・レーベル・グループ (米国)[1]
ユニバーサル ミュージック グループ (その他地域)
ジャンル様々
国 イギリス
本社所在地イギリス・ロンドン・ケンジントン
公式サイト
Decca Records
Decca Classics
⇒Decca Gold
⇒Decca Records US
アメリカのデッカのレーベル。1934年にトランペットのスター、ヘンリー・バッシーをフィーチャーしたアルバムから。このレコードは 78 回転に標準化される前に製作されたもので、回転数がレーベルに記されていないため、正しい回転数は不明である(それが普通だった)。
デッカ・レコード(Decca Records)は、イギリスのレコード会社。アメリカ合衆国にも子会社を設立したが、第二次世界大戦の混乱の中で両社の資本関係は切れ、その後は各々が独自の道を歩むことになった。しかし、1990年代の世界的な音楽業界の再編によって、現在は両社共にユニバーサル ミュージック グループの一部となっている。 1929年に株式仲買人であったエドワード・ルイス
イギリス・デッカ
第二次世界大戦勃発直前に潜水艦ソナー開発の一翼を担い、その技術を応用してffrrというハイファイ録音技術で多くの作品を発表した。またウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と完全専属契約を締結し、同楽団の録音を独占した。
1962年にはオーディションでビートルズを不採用とする失態を犯したものの(ただし、このとき採用されたブライアン・プール&ザ・トレメローズも、全英チャートに到達する程の成功を収めているほか、ビートルズも結果的にEMIに採用されたことでジョージ・マーティンとの出会いやリンゴ・スターの加入など、後の大成功に不可欠な要素を得る結果となっている) 、ローリング・ストーンズをデビューさせ、ブリティッシュ・インヴェイジョンの一翼を担った。また、1966年にはプログレッシヴ・ロック、ブルースロックなど当時としては革新的な音楽性を持つアーティストを扱う専門レーベルであるデラム・レコード(DERAM)を設立し、ムーディー・ブルースやキャメル、テン・イヤーズ・アフターなどを送り出した。こういったサブ・レーベルの設立は世界初とされる。
しかし、1960年代後半からアメリカのレコード会社がイギリスに自社の配給網を作るようになって徐々にデッカの手を離れると共に、1970年にはローリング・ストーンズが他社へ移籍するなどして、同社のポップス分野での勢いは次第に弱まっていった。
なお、同社の作品をアメリカで販売する際には、デッカという商標をアメリカ支社が保有している関係上、ロンドンレコードというレーベル名でオリジナル・ロゴが使用された。日本でも1990年代まではロンドンレコードの名称を使用していた。
1980年にポリグラムによって買収された後、デッカはポップスから手を引き、クラシック音楽のレーベルとしてのみ残った。現在はユニバーサルミュージック内のユニバーサルクラシックスの一部門という位置づけられているが、ジャズ部門においてはヴァーヴ・レコードから発売されている。更に、2007年からは、フィリップス・レコードのクラシック部門が、自社グループの傘下に入った。
日本での配給はキングレコードが1953年頃から行っていたが、本体がポリグラム傘下となった結果、1982年にポリドールの完全子会社として新たに設立されたロンドンレコード株式会社に移った。ただし、1970年代前半までのタイトル(主にクラシック作品)は英デッカの意向によりキングレコードから引き続き発売されたものもあった。これはユニバーサルミュージック傘下となった2000年まで続いた。なお、ロンドンレコードは1984年に親会社のポリドールに吸収合併された。
沿革
1929年 元株式仲買人のエドワード・ルイスによって、設立される。
1941年頃 第2次世界大戦中に、潜水艦の音を聞き分ける目的として、ffrr(Full Frequency Range Recording)という当時としては画期的な高音質録音方式を開発する。
1944年 デッカ航法を開発[2]。
1945年 ffrr方式による高音質録音のSP盤を発売。
1949年頃 テープ・レコーダーを使った録音を開始。
1950年6月 ffrr方式を採用した高音質仕様でLPの発売を開始する。(詳細は、ffrrの項を参照のこと)
1953年11月4日 自社のハムステッド・スタジオにて、ステレオ録音の実験を開始。録音媒体は、自社で開発した垂直-水平(V-L)方式(後にステレオ・レコードの正式規格となった45/45方式とは違う方式)によるディスク・カッターだった。(マントヴァーニ楽団の演奏を録音)
1954年5月13日 スイスのジュネーブにあるビクトリア・ホールにて、米アンペックス社のステレオ・テープ・レコーダー(350 model 1)を使い、ステレオの実用化試験録音を開始。(R・コルサコフ作曲、交響曲第2番「アンタール」。演奏はエルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団)
1954年7月 ローマのサンタ・チェチーリア音楽院にて、オペラのステレオ録音を開始する。