デズフール、デズフル(Dezful、ペルシア語: ?????、[d?z?fu?l]、地域の方言ペルシア語: ?????、ローマ字の別表記 Dezf?l Dezfool D?zf?l[1])は、イラン・フーゼスターン州デズフール郡(ペルシア語版、英語版)の都市、郡庁所在地。2011年の国勢調査では、42万人、10万5千戸が住んでいるとされた[2]。2006年当時には、人口は 235,819人であった[3][4]。
古代文明に遡る歴史のある地域にある都市であり、市内には紀元300年に遡る橋がある[5] デズフールという地名は、「砦」を意味する「diz」と「橋」を意味する「pul」の2語に由来しており、合わせて「砦に向かう橋」ないし「砦にされた橋」といった意味になる[6]。元々の地名はディズプール (Dizpul) であったが、イスラーム教徒のペルシア征服以降に、デズフールと改められた[6]。 地名の由来となった橋は、全長410メートルの長さがあり、元々はサーサーン朝ペルシアのシャープール1世の統治下で[7]、ローマ帝国の捕虜たちを動員して建設したものである[8]。現代の橋の下には、かつての橋脚の遺構が残されている。 デズフールは、イラクとの国境から100キロメートルほどしか離れておらず[9]、イラン・イラク戦争(1980年 - 1988年)では激戦地のひとつとなった[10]。 戦争の初期段階では、イラクによるイラン侵攻によって陥落した[9]。イラン側の初期の反転攻勢の試みであった1981年のデズフールの戦いではイラン側が敗退したが、1982年春にはイラン側がデズフールの奪回に成功した[9]。 その後も、戦争期間中を通して、繰り返しイラク側からのミサイル攻撃や[9][11]、航空機による空襲を受けた[12][13]。 停戦後に国連停戦監視団が国境周辺に展開した際には、地方本部[14](前線本部[15])のひとつが置かれた。 デズフールは、ザグロス山脈の南方の都市であり、おもな市街地はデズ川の左岸(南東岸)に位置している[7]。デズ川の右岸には、イラン縦貫鉄道の駅やデズフール空港 デズフールは、高温ステップ気候(ケッペンの気候区分:BSh)に属しており、極端に暑い夏と、穏やかな冬がある。
歴史
イラン・イラク戦争
地理
気候