デス
Death
1989年、メキシコにて
基本情報
出身地 アメリカ合衆国 フロリダ州オーランド
ジャンルデスメタル[1][2]、テクニカルデスメタル、ヘヴィメタル[1]、プログレッシブ・メタル[1][2]、スラッシュメタル(初期)[2]
活動期間1984年 - 1996年、1998年 - 2001年
レーベルコンバット・レコード
デス(Death)は、アメリカフロリダ州オーランド出身のデスメタル・バンド。ギタリストでボーカリストのチャック・シュルディナーを中心とし、1980年代から1990年代を通して活動した。当初はバンド形式だったが、アルバムを出す毎に彼を中心としたプロジェクト形式での活動に変わって行った。1995年には来日公演を行っている。
モービッド・エンジェル、オビチュアリー、ディーサイドらと共にフロリダを中心に活動を行い、カンニバル・コープス、サフォケイション、マルヴォレント・クリエイションらニューヨーク勢と共に、1990年代初頭のアメリカ・デスメタル・シーンの創生期を支え、世界中のデスメタル・バンドに影響を与えた。 1983年にチャック・シュルディナー、リック・ロズ、キャム・リーの3人で結成される。結成当初はマンタス (Mantas)と名乗っていた。1987年のファースト・アルバムのリリースまでは紆余曲折あって、僅かな間だが、リパルジョン
略歴
1995年にアルバム『シンボリック』を発表後、シュルディナーはデスの解散とコントロール・ディナイドへの専念を宣言するが、1998年にはアルバム『サウンド・オブ・パーサヴィーランス』をデス名義で発表する。
1999年、シュルディナーが脳腫瘍に倒れる。2001年12月13日、シュルディナーが死去。 特に初期の活動は、デスメタルというジャンルの成立に大きな影響を残している。デスメタルという名前は、このバンドにちなんで付けられたとする説もある。元はスラッシュメタルからデスメタルへの過渡期に当たる曲作りを行なっていたが、後のシニックのメンバーを加えて録音された、1991年リリースの『ヒューマン』以降はテクニカル路線を強める。同時に、デスメタルとしてはメロディアスさが強調されたギター・ソロなど、他のデスメタル・バンドとは異なる要素を含んだ音楽を展開していった。 チャック・シュルディナーとその家族は闘病生活の中で多大な手術費用が必要となり、経済的に困窮した。私物をオークションにかけ、多くの基金や慈善コンサート、ヘヴィメタル・コミュミニティからの助けなどを得るものの、支払い能力の欠如から医療機関より必要な手術を拒まれるなどした経緯がある。 そうしたことを踏まえ、チャック・シュルディナーの死は、癌に侵されたテスタメントのチャック・ビリー(後に快気)と共に、多くのミュージシャンや彼の家族、そしてファンの間から、保険などの生活保障のないミュージシャン生活についての問題提起も投げかけられた。
音楽性
チャック・シュルディナーの死