束柱目 Desmostylia
パレオパラドキシアの骨
地質時代
漸新世後期 - 中新世後期
分類
束柱目(そくちゅうもく、Desmostylia、ギリシア語で「束ねられた柱」の意)は既に絶滅した海棲哺乳類の目の一つである。漸新世後半のチャッティアン期から中新世後半のトートニアン期にかけて生息していた。その歯と骨格は、束柱目の動物が沿岸に暮らす水陸両棲の草食動物であったことを示唆している。彼らの名前は、その極めて特徴的な臼歯(文字通り、円柱を束ねたような構造をしている)に由来する。
研究の歴史世界で最初に発見されたデスモスチルス(Desmostylus japonicus)の頭骨の化石。ホロタイプ。岐阜県瑞浪市産出。日本で初めて絶滅哺乳類の新種として記載された標本(国立科学博物館の展示)[1]
束柱目に属する動物の化石は環太平洋地域の北部、つまり日本南部からロシア、アリューシャン列島、そして(カリフォルニア半島の先端までの)北アメリカ大陸西海岸で発見されている。模式種たる Desmostylus hesperus は数本の歯と椎骨から、初めは(1888年にオスニエル・チャールズ・マーシュによって)海牛目に分類されたが、10年後に日本でより完全に近い化石が発見されるとその分類に疑問が呈された。1898年、日本の古生物学者・吉原重康(しげやす)[2]および岩崎重三(じゅうぞう)[2]と共同研究中であったヘンリー・フェアフィールド・オズボーンが、頭蓋骨と牙における初期のマストドン類との類似性から、長鼻目起源説を提案した。ジョン・C・メリアム(John C. Merriam, 1869 - 1945)は臼歯の構造に基づいて、デスモスチルスが水棲の動物であり、恐らくは海牛目であろうと結論づけた。他の科学者たちは単孔目説を唱えた。なぜならば当時デスモスチルスは頭蓋骨の破片・歯・他の骨のごく一部しか発見されておらず、身体的特徴としてはひれ足と尾びれを有することが推測されていたに過ぎなかったからである。しかしながら1941年に樺太で発見された完全な骨格は、彼らがカバのそれと似た太い四本の脚を持っていたことを明らかにし、1953年にはロイ・H・ラインハルト(Roy H. Reinhart)により束柱目という目が新設された。 束柱目の下位分類を示す[3]。 ゾウとマナティーを除けば、デスモスチルスは現存のいかなる動物とも似ていないが、より後期の種類は水中生活により適した身体構造をしていた。[4] ダグラス・エムロング(Douglas Emlong
分類
デスモスチルス科 Desmostylidae
アショロア Ashoroa (後期漸新世)
コルンワリウス Cornwallius (後期漸新世)
デスモスチルス Desmostylus (前期 - 中期中新世)
パレオパラドキシア科 Paleoparadoxiidae
ベヘモトプス Behemotops (後期漸新世)
パレオパラドキシア Paleoparadoxia (前期 - 中期中新世)
他の分類群との関係