デジタルアニメ
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デジタルアニメは、コンピュータ上で動画データを作成するアニメーション。CGアニメ(コンピュータアニメーションを参照)とも呼ばれていた。
概要

1990年代以降のコンピュータの進化、コンピュータの使用によるコスト低下、富士写真フイルム(現・富士フイルム)のセル画用セルの生産中止、セル専用塗料(アニメカラー)の調達問題などの要因により、セルアニメからデジタルアニメへの移行が急速に進展した[1][2]

アニメにおけるデジタル(CG/コンピュータグラフィックス)化は、以下のように分類される。
映像のデジタル化

3次元コンピュータグラフィックス(3DCG):ポリゴンで描写された3Dオブジェクト写実的ではなく、セル画風のデフォルメが効いたトゥーンレンダリングが使用されることが多い。セルアニメ(2DCG)との合成に違和感を持たせなくする利点がある。

2次元コンピュータグラフィックス(2DCG):セルアニメの手法をデジタル化したもので基本的な根幹は同じであり、「仕上げ(色トレス、彩色)」をセル画ではなくコンピュータで行なう「デジタル彩色」を示す場合も多い。


特殊効果(デジタル画像処理

フォグに代表される映像への追加であり、実写作品でも使用されている技術である。マルチコアCPUと大容量RAM主記憶装置)、高性能ビデオカードを搭載したPCのコモディティ化、Unityなどプリセットされた特殊効果を画面上で配置・確認できるゲームエンジンの登場により、手描きでは時間のかかるダイナミックな表現が低予算かつ迅速に行えるようになっている。

アメリカ合衆国などのアニメーション制作は21世紀初頭から3DCG作品へ移行していった[3]。一方、日本のアニメーション制作では手描きの特徴を生かしつつ、手描きでは実現不可能な部分に3DCGを導入する独自のスタイルが発展した[3]
歴史
最初期(1960年代後半)

1968年のロシアで初歩的なコンピュータ(BESM-4)と印刷機により"Kitten"が制作された。印刷機で小さな四角形をアスキーアートのように並べて印刷用紙に出力し、その紙をカメラで1枚ずつ撮影して動画にした実験的なアニメーションである。内容としては滑らかに猫が歩く姿のシルエットが描かれている。また同年、日本でも山田学・月尾嘉男により、コンピュータ制御のプロッターを用いて、ワイヤーフレームの立方体を3次元的に回転させるようなアニメーションである「風雅の技法」の制作が行われている。この作品は第1回草月実験映画祭で入賞した。
スキャニメイトの導入(1970年代後半)詳細は「スキャニメイト」を参照

動作原理として全く連続性(関連性)はないが、1970年代後半から1980年代前半の間にビデオ映像信号を電子的に発生・加工するという手法によるアニメーションシステムが登場している。アナログ回路であるため瞬時の処理が可能であり、フルフレームのCG映像を実現できていた。主に、入力した画像を元に、各種映像信号を電子回路で歪めたり変色させたりして加工するエフェクト的な利用方法であった。当システムは(電子的な一種の計算機ないしシンセサイザのような回路を利用しているが)ディジタルな処理によるものではないので、最初に述べたようにデジタルアニメではない。一般にCRTディスプレイの電磁的な制御は一定の安定したランプ波といったような信号で行われるが、例えばそれを意図的に揺らすことにより波のように揺れる画像を作ることができる。そういったようなアナログな仕組であって、電子的ではあるがディジタルな仕組ではない。

スキャニメイトは、日本にあったとして公知のものは東洋現像所(現:IMAGICA)が導入した1台のみであるが、2台のVTRによる効果の重ね掛けなどを駆使し、またその原理上コマ撮りアニメでは難しい、テレビ放送の毎秒60フィールドのフルアニメが可能といったこともあり、多くの映像作品中にその印象的な描画を残している。著名なアニメーション作品での利用としては、タイムボカンシリーズの他、「算数チャチャチャ」の三角関数で変形する文字やドラえもんのタイムマシンが移動する時空の背景などといった「ちょっとした使われ方」も多い。
デジタル化の始まり(1980年代)

1970年代前半、東映動画(現:東映アニメーション)において、経営的落ち込みへの再建策の一つとしてアニメ制作工程へのコンピュータ導入が検討された。1974年、社内研究会の立ち上げ、1977年、技術委員会プロジェクトの発足[4]IBMと提携しデジタル化の検討を重ねたが、1985年、シミュレーションの結果テレビシリーズ1話あたり、3,800万円(ハードウェア・ソフトウェアの費用のみ)という莫大なものとなることが判明し断念した[5]
コンピューターグラフィックスの普及

1970年代に誕生したマイクロプロセッサが、大量生産により極めて安価に入手できるようになってくると、それを多数利用した並列計算のほうが大型コンピュータなどより費用対価格比が良い、といったようになり、その応用として、複雑な相互関係がある科学技術計算などよりも、とにかく多数の画像を生成したいというCGアニメーションのほうが手頃といったようなこともあり、阪大の大村らによって1982年に試作が完成したLINKS-1[6]、その発展拡大であるLINKS-2[7]などが日本では作られた(「トーヨーリンクス」の名の(後半の)由来でもある)。

1981年、金子満が設立した、日本初の商業CGスタジオJCGL(ジャパン・コンピューター・グラフィックス・ラボ)[8]ではテレビアニメ作品として、動画や彩色の行程にコンピュータを取り入れた世界初のデジタルアニメ『子鹿物語』の制作を1983年に開始したが、当時のコンピュータの性能では描画品質が劣り、生産性も低く、オープニング・エンディングと第2話を除き、セルアニメによる制作に移行している[9]

1983年、藤幡正樹はコンピュータグラフィックス・アニメーション作品として『Mandala1983』を発表、カナダで開催された「ビデオ・カルチャー展」のCG部門でグランプリを獲得している。また、同年『ドラえもん・ヨーロッパ鉄道の旅』が放送、初のCGを取り入れた作品だったが、あくまでも彩色をコンピュータで行っただけであり後述のデジタル彩色の先駆けとなった作品である。さらに、同年公開の劇場版アニメ「ゴルゴ13」ではトーヨー・リンクスの協力でタイトル画面とヘリコプターによる空襲がCGで描かれたが、技術的制約から生ポリゴンしか描画できなかったCGの質感があまりにも無機質であったため一部の導入に留まった。

その後、1983年から1984年にかけて1985年、高橋克雄(東京中央プロダクション・映像作家)が伊勢丹の協力のもと、マルチシンクロシステム型映像展示を行い、コンピュータグラフィックスによる映像作品を電子ポスターとして発表[10][11]


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