フランス法においてデクレ(decret)とは、命令制定権(pouvoir reglementaire)を行使する大統領または首相による、一般的または個別的効力を有する執行行為である(第五共和国憲法第21条
)。政令(せいれい)・統令(とうれい)と訳されることもある。アンシャン・レジームにおいては、デクレとは、刑事手続において用いられた用語であった。そこでは、次の3種のデクレがあった。
召喚デクレ(decret d'assignation)
人的召喚デクレ(decret d'ajournement personnel):現在の勾引状(mandat d'amener
憲法制定国民議会においては、立法府が法律となるべきものとして議決する文書がデクレと呼ばれるようになった。すなわち、立法府が国王に提示したデクレが国王裁可を得て法律となるものとされており(法律の裁可および公布に関する憲法の条項についてのデクレ(1789年11月9日))、ほとんどの法律は法令集において「デクレ」の名で掲載された[1]。この用語法は、1791年憲法にも引き継がれた(1791年憲法第3編第3章第3節第6条)。 総裁政府の下では、この意味での「デクレ」は「決議」(resolution)に置き換えられ、「デクレ」の語は用いられなくなった。 第一帝政期においては、国家元首(フランス皇帝)の発する文書との意味で、「デクレ」の語が再び用いられるようになった。 1848年の臨時政府においては、「デクレ」は新たに合議制に基づく公式文書を指すものとして用いられた。 続いて、憲法制定議会 1848年憲法の公布後、ようやく現在と同様の意味となる。もっとも、第三共和政の終わりまでは、国家元首のみがデクレを発することができた。 第四共和政および第五共和政においては、この権限は首相(それぞれ、president du Conseilおよびpremier ministre)にも認められた。 規範階層 法律または命令の性質を有するあらゆる文書と同様に、デクレは、署名および場合によっては副署の後に、フランス共和国官報により公布されなければならない。これは、一方では皆に知られるようにするためであり、他方では対抗できるようにするためでもある。 したがって、デクレが発効する日は、あらかじめ特定されていなければ、公布の翌日である。ただし、緊急時にはこの限りではない。 デクレは、国務院における越権訴訟 憲法第13条、第19条、第36条および第37条のみが、一定の命令行為はデクレによらなければならない旨を規定する。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}共和国大統領は、大臣会議の議を経たオルドナンスおよびデクレに署名する。 共和国大統領は、国の文武の職を任命する。
総裁政府
第一帝政
復古王政・七月王政)という語が命令を示す語としては好まれたためである。
第二共和政・第二帝政・第三共和政
第四共和政・第五共和政
フランス法秩序におけるデクレ
デクレの発効
デクレの憲法上の基礎
国務評定官、レジオンドヌール総裁(grand chancelier de la Legion d'honneur