デオダート
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エウミール・デオダート
Eumir Deodato
エウミール・デオダート(1970年)
基本情報
出生名Eumir Deodato de Almeida
別名デオダート (Deodato)
生誕 (1942-06-22) 1942年6月22日(81歳)
出身地 ブラジル リオデジャネイロ
ジャンルジャズボサノバクロスオーヴァーフュージョンMPB
職業ミュージシャン、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー
担当楽器キーボード、ギター
活動期間1959年 -
レーベルCTIMCA、ワーナー
共同作業者クール・アンド・ザ・ギャング
ジョン・トロペイ
ヒューバート・ロウズ

エウミール・デオダート(Eumir Deodato、1942年6月22日 - )は、ブラジル出身のミュージシャン、キーボード奏者、作曲家、アレンジャー、プロデューサーである。1970年代以降は主にデオダート名義で活動している。
バイオグラフィ

デオダートは、ブラジル、リオデジャネイロ生まれのイタリア系ブラジル人である。1964年にミュージシャン・デビューした後、1967年頃からアメリカへ渡り、ジャズ・レーベルのCTIなどでアレンジャーとしてミルトン・ナシメントアントニオ・カルロス・ジョビンマルコス・ヴァーリフランク・シナトラなどの数々のアルバムの製作に携わる。その間、ブラジルでオリジナル・アルバムを制作、リリースした。

1973年、デオダート名義としてCTIレーベルにてアルバム『ツァラトゥストラはかく語りき』を発表。クラシック作品をエレクトリック・ジャズにアレンジした楽曲「ツァラトゥストラはかく語りき」が異例のヒットとなった[1]。同曲は最も有名な初期クロスオーバー/フュージョンの一曲として知られ、日本でもNHKFMを中心にオンエアされた。続いて同年発表のアルバム『ラプソディー・イン・ブルー』でもジョージ・ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」を取り上げており、本作も代表作品として知られている。この曲の他ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」、スティーリー・ダンの「ドゥ・イット・アゲイン」、ムーディー・ブルースの「サテンの夜」、などもデオダート流のアレンジを加えて収録されている。

CTIを離れてからはMCAワーナー・ブラザース・レコードと渡り歩きアルバムを制作。1970年代後半には、クール・アンド・ザ・ギャングのプロデュースを担当。また、ビョーク、ケヴィン・ローランド等、音楽プロデューサーとしても活動している。

2001年、15年ぶりにミュージシャンとしての活動を再開、コンサートを中心に活動し始めた。2008年8月にはコットンクラブ東京にて来日公演を果たし、以降も時折来日している。2010年には久々のソロ作『ザ・クロッシング』を発表した。
ディスコグラフィ
ブラジル時代

『イヌチル・パイサージェン』 - Inutil Paisagem
[2] (1964年、Forma) ※旧邦題『無意味な風景』

『イデイアス (着想点)』 - Ideias... (1964年、Odeon)

『インプルソ!』 - Impuls O! (1964年、Equipe) ※Os Catedraticos名義

『サンバ・ノヴァ・コンセプサォン』 - Samba Nova Concepcao (1964年、Equipe)

『トレメンダォン』 - Tremendao (1964年、Equipe) ※Os Catedraticos名義

『ロス・ダンセーロス・エン・ボレロ』 - Los Danseros En Bolero (1964年、Equipe) ※Los Danseros En Bolero名義

『アタッキ』 - Ataque (1965年、Equipe) ※Os Catedraticos名義

Bossa Nova for Swinging Lovers (1965年、London Globe)

『ザ・ジェントル・レイン』 - The Gentle Rain (1965年、Mercury) ※with ルイス・ボンファ


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