デイヴィッド・フォスター
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この項目では、音楽家について説明しています。映画プロデューサーについては「デイヴィッド・フォスター (映画プロデューサー)」をご覧ください。

デイヴィッド・フォスター
David Foster
2022年
基本情報
出生名David Walter Foster
生誕 (1949-11-01) 1949年11月1日(74歳)
カナダブリティッシュ・コロンビア州ビクトリア
ジャンルポップR&Bクラシックゴスペルアダルト・コンテンポラリーフュージョン
職業音楽プロデューサーソングライター編曲家
担当楽器ピアノキーボードボーカルフレンチホルンシンセサイザー
活動期間1971年 - 現在
レーベルヴァーヴ・レコードリプリーズ・レコード/143 レコードアトランティック・レコード
公式サイト ⇒davidfoster.com

デイヴィッド・フォスター(David Foster、1949年11月1日 - )は、カナダ音楽家音楽プロデューサーソングライター編曲家セリーヌ・ディオンジョシュ・グローバンジェイク・ザイラスマイケル・ブーブレなどを見出し、世界で成功したアーティストのプロデュースを数多く手がけている。今までに15のグラミー賞を獲得した他、「カナダのグラミー」と呼ばれるジュノー賞を7回、映像関連のエミー賞を1回受賞している。また、映画のサウンドトラックも数多く手掛け、3度アカデミー賞にノミネートされている。
来歴

1960年代半ばザ・ストレンジャーズのキーボーディストとして渡英、チャック・ベリーボ・ディドリーなどのミュージシャンのイギリス公演のバック・バンドを務める、キャット・スティーヴンスのツアーバンドに誘われるも、ホームシックにかかって帰国。その後、ロニー・ホーキンスのバンド・メンバーなどを経て、1971年にバンド、スカイラークを結成し、渡米。1973年に「Wildflower」をヒットさせる。解散後もロサンジェルスに留まり、本格的に音楽活動を開始。セッション・プレイヤーとしての活動をした後(1975年リー・リトナーらと共にミッシェル・ポルナレフのバック・バンドのキーボード奏者としてテレビ出演している映像が残っている)、プロデューサーに転身。

マイケル・ボルトンバーブラ・ストライサンドセリーヌ・ディオンホイットニー・ヒューストンマイケル・ジャクソンシカゴマドンナチャカ・カーンアンドレア・ボチェッリなどの著名なアーティストのアルバムのプロデュースなどを行っている。英語圏以外のアーティストにも積極的に参加し、メキシコのルイス・ミゲル河合奈保子松田聖子のアルバムにも曲を提供しプロデュースもしている。ワーナー・ミュージックの重役でもあり、近年、自らのレーベル、143 レコードを立ち上げ、ザ・コアーズジョシュ・グローバンマイケル・ブーブレなどのアルバムを制作した。

1979年にはジェイ・グレイドンビル・チャンプリンと共作したアース・ウィンド・アンド・ファイアーの「アフター・ザ・ラヴ・ハズ・ゴーン」(After The Love Has Gone)を作曲、この曲はシングルでは全米2位を獲得し、初めてグラミー賞(最優秀R&B楽曲賞)を受賞。この曲は後にジェイ・グレイドンと組んだエアプレイでカバーされているが、タイトルは「After The Love Is Gone」と変わっており、少し歌詞を変更している。

自らの作品としては、グラミー賞を15回受賞しており(うち3回は「最優秀プロデューサー賞」)、BMIの「最優秀ソングライター」賞も受賞している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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