デイヴィッド・ハーレイ
公式肖像写真(2019年)
第27代 オーストラリア総督
現職
デイヴィッド・ジョン・ハーレイ(英: David John Hurley、1953年8月26日 - )は、オーストラリアの元軍人。最終階級は陸軍大将。ニューサウスウェールズ州総督を経て、2019年7月1日よりオーストラリアの総督を務める。
42年におよぶ軍歴で、1993年にはソマリアのソレイス作戦に派遣されたほか、第1旅団長(1999年 - 2000年)、軍事能力開発部長(2003年 - 2007年)、合同作戦部長(2007年 - 2008年)、国防軍副司令官(2008年 - 2011年)を歴任した。2011年7月4日にアンガス・ヒューストン空軍大将の後任の国防軍司令官に着任し、2014年6月の退役まで在任した。同年10月2日、ニューサウスウェールズ州総督に就任した。 ニューサウスウェールズ州ウロンゴンに生まれる[1]。父ジェームズ・ハーレイはイラワラの鉄鋼メーカー勤務。母のノーマも雑貨店に勤めていた。同州ポートケンブラで育ち、1971年にポートケンブラ高校を卒業。その後、ダントルーン王立陸軍士官学校とディーキン大学を卒業した[2][3]。 妻リンダ(旧姓マクマーティン)とのあいだに3子がいる[4]。 1972年1月、士官候補生としてダントルーン王立陸軍士官学校に入校[5]。1975年12月に卒業し、中尉としてオーストラリア王立歩兵第1連隊第1大隊 (1RAR) に配属された。その後、大尉に昇格し、シドニー大学連隊や王立歩兵大隊の副官となった。さらにアイルランド近衛連隊第1大隊への派遣を経て、オーストラリア王立歩兵第5・第7大隊に配属された[4]。 中佐昇格後は1990年に軍事事務局上級キャリアアドバイザー(装甲・砲兵・工兵・歩兵)、1991年初頭に第2師団本部附、1991年11月に歩兵第1連隊第1大隊長と異動を重ねた。1993年には、ソマリアにおけるオーストラリア軍のソレイス作戦で同大隊を率い、この功労により殊勲十字章を受章した[6]。1994年に第1師団本部附となった[7]。 大佐昇格後の1994年6月には、第1師団参謀長となった。1996年から1997年までアメリカ陸軍戦略大学に派遣された後、陸軍参謀長軍事秘書官、さらに1997年12月に戦備・動員部長としてオーストラリア国防本部に異動となった[8]。 准将時代は1999年1月にダーウィンの第1旅団長となり、東ティモールにおけるオーストラリア軍の作戦を支援した。 少将昇格後の2002年12月にはオーストラリア陸軍の国土司令官 (Land Commander) を務めた[7]。中将時代は2003年12月に軍事能力開発部長、2007年9月に新設された合同作戦部長となったのち、2008年7月に国防軍副司令官に上り詰めた[9]。 大将昇格後の2011年7月4日、アンガス・ヒューストン空軍大将の後任として国防軍司令官となった[10]。2012年1月にはオーストラリア軍入隊から40年となり[5]、1月20日にパリでフランス軍参謀総長からレジオンドヌール勲章(オフィシエ)を授与された[11]。また、2月には同じく軍人生活40周年を記念して国防軍従軍記章(メダル)が授与された[5]。2014年6月30日、国防軍司令官のポストをマーク・ビンスキン空軍大将へ引き継ぎ、オーストラリア陸軍を退役した[12]。 2014年6月5日、ニューサウスウェールズ州首相のマイク・ベアードから、マリー・バシールの後任の州総督に指名された。その後、バシールが任期満了を迎えた10月2日に総督に就任した[13]。2015年3月17日には、シドニーの総督公邸で行われた式典で団長のニール・コンから聖ヨハネ騎士団(1888年にヴィクトリア女王によって設立された団体)のメンバーに叙任された[14]。 2018年12月16日、オーストラリア首相のスコット・モリソンは、女王エリザベス2世が2019年7月1日に就任する次期総督にハーレイをあてる人事を承認したと発表した。エリザベス2世の即位後に生まれた人物がオーストラリア総督となるのは、これがはじめてであった[15][16][17]。後任のニューサウスウェールズ州総督には、マーガレット・ビーズリーが指名された[18]。7月1日にキャンベラのオーストラリア連邦議事堂で第27代総督としての就任式が行われ、そこでハーレイは地元のアボリジニのングナワル語でも演説を行った[19]。 2019年9月11日、キャンベラのオーストラリア国立美術館でインドネシア大使館が主催した「インドネシア・ナショナルデー」レセプションに出席したハーレイは、インドネシア語で演説を行った[20]。
経歴
生い立ち
軍歴参謀総長時代のハーレイ(2013年)
ニューサウスウェールズ州総督
オーストラリア総督ハーレイの総督就任式