デイブ・ロジャース
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デイヴ・ロジャース
(Dave Rodgers)
出生名Giancarlo Pasquini
(ジャンカルロ・パスクィーニ)
別名The Big Brother
生誕 (1963-02-21)
1963年2月21日(57歳)
出身地 イタリアマントヴァ
ジャンルディスコ
ハイエナジー
ユーロビート
ポップ・ロック
ハードロック
ユーロダンス
イタロダンス
テクノ
職業シンガーソングライター
音楽プロデューサー
レコーディング・エンジニア
活動期間1981年 -
レーベルTime Records(1985年 - 1990年
Discomagic(1980年代 - 1990年)
Flea Records(1990年 - 1991年
A-BEAT C(1990年 - 2010年
SUN FIRE RECORDS(2010年 - 2018年)
Dave Rodgers Music(2018年 - 現在)
共同作業者ALEPH
公式サイト ⇒Dave Rodgers Official Site

デイヴ・ロジャース(Dave Rodgers、本名:Giancarlo Pasquini(ジャンカルロ・パスクィーニ)、1963年2月21日 - )は、イタリアマントヴァ出身(在住)のユーロビートミュージシャンシンガーソングライター音楽プロデューサーレコーディング・エンジニア。現在は、レコードレーベル『SUN FIRE RECORDS』の主宰者である。身長174cm。目次

1 概要

2 略歴

3 デイブ・ロジャース名義における代表曲

4 脚注・出典

5 関連項目

6 外部リンク

概要

本国やヨーロッパ諸国においては、1980年代のイタロ・ディスコユーロビートを代表するバンド・「ALEPH」のヴォーカリストとして、『Fly To Me』(1985年)や『Fire On The Moon』(1986年)などのヒット曲で高い知名度を誇る。

日本でも、上述のヒット曲が『THAT'S EUROBEAT』などのコンピレーションで取り上げられたことにより「ALEPH」メンバーとしての活動で名を上げた後、1990年代に流行したダンス・パラパラで使われたユーロビートのコンピレーションアルバム『SUPER EUROBEAT』への楽曲提供のほか、1990年代中頃よりTMN安室奈美恵などのJ-POPのプロデューサーとして楽曲のアレンジメントに携わり、日本におけるユーロビートの流行を牽引した。流行の最盛期となる1995年頃には、市場がほぼ日本のみのJ-POPにおいて、安室奈美恵『太陽のSEASON』(1995年)やV6MUSIC FOR THE PEOPLE』(1995年)といった数十万枚の売り上げのヒット曲を連発するなど、日本において最も大きな商業的成功を収めたユーロビートミュージシャンの一人でもある。
略歴

1984年、バンド「ALEPH」のヴォーカルとして、本名名義で『IN YOUR EYES』(1984年)でデビュー。同年、マウロ・ファリーナの誘いでユーロビートの世界へ入る。

1985年、TIME Recordsより『Fly to Me』(1985年)でメジャーデビュー。イタリア国外での販売もなされたこの作品より「Dave Rodgers」の芸名を使い始める。2作目の『Fly to Me』と3作目の『Fire On The Moon』(1986年)が欧州各国のチャートにランクインするヒット曲となり、Alephはイタロ・ディスコを代表するバンドの一つとなった[1]

1987年、デイブ・ロジャース名義のデビュー曲「RICH AND FAMOUS」を発表。一方、ALEPH名義では1990年に活動を停止するまで『Big Brother』(1988年)など次々とヒットを重ね、ファリーナが抜けた後のTIME Recordsのメインソングライターとなる。また、この頃からDISCOMAGIC社を中心とした数多くのユーロビート系アーティストへ楽曲の提供・プロデュースを手掛けるようになった[2]

1990年、クリエイティブ面におけるレーベル上層部との対立や金銭における待遇面での不満などからTIME Recordsを脱退[3]、FLEA Recordsに移籍[4]。同年には、スラッシュメタルバンド・BULLDOZERのヴォーカリストであり、DISCOMAGIC社のA&Rでもあったアルベルト・コンティーニと共に、当時のFLEA Recordsのメンバーを中心[5]として、A-BEAT C Records(正式にはRodgers & Contini Recordsの中の1レーベル[6])を設立した。

1991年、ユーロビートシンガーであるドミノ[7]と結婚。「Dave and Domino」としての活動も行っていたが、2004年頃、離婚。息子のフェデリーコも、「FREDDY RODGERS」として後に歌手デビューを果たしている[8]

1992年アンドレア・レオナルディ、コンティーニと共にユニット「RODGERS, CONTINI & SINCLAIRE」を結成[9]。この名義で数曲発表した。

1990年代以降は日本市場に重点を置いた活動を行い、ユーロビートのコンピレーションアルバムへの楽曲提供と並行に、多数の日本人ポップミュージシャンのユーロビートアレンジを手掛ける。1992年9月23日にカバーアルバム「TMNソング・ミーツ・ディスコ・スタイル」を発表。「Get Wild」をはじめ、TM NETWORKの楽曲を全編英詞に書き直し、ユーロビートのアレンジに仕上げた。また、1993年には「ゲット・ワイルド・ミーツ・テクノ・スタイル」を発表。それをきっかけにハウス、テクノ、ラップ等のコンピレーションアルバム『HOUSE REVOLUTION』シリーズにBULLDOZER、DJ ZORRO、MMMなどのアーティスト、グループに、テクノハウス、ハイパーテクノ等の楽曲提供、プロデュースを手掛けることになる。

1990年代後半には安室奈美恵MAXV6などの楽曲のプロデュースを数多く手がけた事で、日本で商業的に大きな成功を収めたユーロビート作家となり、avex traxとは約10年もの長期独占契約を結んでいた[10]。アニメ「頭文字D」では、「SPACE BOY」をはじめ他アーティストへの提供曲を含む多くの楽曲が劇中に使用されている。

2010年には、アーティスト兼プロデューサーのFuturaと共に新レーベル「SUN FIRE RECORDS」を設立、活動を開始した。2011年7月11日には、Futuraと婚約していることをfacebook上で自ら明かしていた。2015年11月、facebookのプロフィールを「シングル」に変更したが、2016年1月20日、またfacebook上でFuturaとの結婚を発表。

2016年1月1日、Alephのデビュー30周年を記念し、「FLY TO ME」をリメイクした「FLY TO ME 2016」を「Aleph feat. Dave Rodgers」の名義でYoutubeに公開。
デイブ・ロジャース名義における代表曲

あくまでデイブ・ロジャース名義の代表曲であり、全てではない。他名義の代表曲も省略する。
他名義の曲も含め、「
Category:デイブ・ロジャースが制作した楽曲 」も参照のこと。

SUN CITY『MAHARAJA NIGHT HI-NRG REVOLUTION VOL.12』収録。ALEPH時代の「BIG BROTHER」をモチーフとしたアンサーソング的な楽曲。ゲストとしてジェニファー・バトゥンがギター演奏で参加。ジェニファーは同曲以降デイブはじめA.BEAT-Cのアーティストによる複数楽曲でもギターを演奏している。

NOTHING CHANGED『SUPER EUROBEAT VOL.52』収録。UBの「あの頃のまま」をカバーした曲。後にレーベルメイトのノーマ・シェフィールドもカバーした。

MUSIC FOR THE PEOPLE『SUPER EUROBEAT VOL.65』収録。V6のセルフカバー。ジェニファー・バトゥンとタッグを組んでいる。

SPACE BOY『SUPER EUROBEAT VOL.87』収録。アニメ『頭文字D』シリーズの作中のBGMとして最初に起用された。

KINGDOM OF ROCK『SUPER EUROBEAT VOL.89』収録。V6のセルフカバー。テレビ朝日系列タモリ倶楽部のミニコーナーである「空耳アワー」で紹介された。

DEJA VU『EUROMACH 2』収録。EXTENDED版はSUPER EUROBEAT presents 頭文字 D SUPER EURO BESTに収録されている。

WHEELS OF FIRE『SUPER EUROBEAT VOL.115』収録。


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