デイビッド・ロックフェラー
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デイヴィッド・ロックフェラー・シニア(David Rockefeller, Sr. 1915年6月12日 - ) は、アメリカ合衆国銀行家実業家であり、現在のロックフェラー家の当主。



目次

1 経歴

2 日本との関係

3 その他

4 著作

5 脚注

6 外部リンク

7 関連項目


経歴

1915年6月12日、ニューヨークで6人兄弟の末っ子として生まれる。

祖父はジョン・ロックフェラー[1]、父はジョン・ロックフェラー2世

長男:ジョン・ロックフェラー3世 (John D. Rockefeller III)

二男:ネルソン・ロックフェラー(第41代アメリカ合衆国副大統領

三男:ローランス・ロックフェラー(Laurance Spelman Rockefeller)

四男:ウィンスロップ・ロックフェラー(元アーカンソー州知事

長女:アビー・ロックフェラー・モーズ(Abby Rockefeller Mauze)

そして、五男(末子)がデイヴィッドである。

国際基督教大学に留学していたことでも知られるジョン・ロックフェラー4世(John Davison "Jay" Rockefeller IV)はデイヴィッドの兄ジョン・ロックフェラー3世(英語版)の長男である[2]

1936年.、ハーヴァード大学卒業。卒業論文のテーマはフェビアン協会[3]であった。その後、フェビアン協会が設立したロンドン・スクール・オブ・エコノミクス (LSE)に留学[4]、同校で修士号を取得。また同時期にLSEに留学していた後のアメリカ大統領ジョン・F・ケネディと出会う。その後、シカゴ大学経済学博士号を取得。

1973年三極委員会を設立。

1981年までチェース・マンハッタン銀行の頭取兼最高経営責任者。外交問題評議会名誉会長。ビルダーバーグ会議には初会合から参加している。

フィランソロピストとしても知られている。
日本との関係

1972年、デイビッド・ロックフェラーはオランダ王室にビルダーバーグ会議への日本の参加を打診したが断られたため、ズビグネフ・ブレジンスキーに日本が加わる会議の創設を提案した。宮沢喜一大来佐武郎らを招待した勉強会が開催され、翌年の1973年10月に「三極委員会」が誕生した[5]

2007年に11月に来日、回想録(日本語版)の出版記念会が都内のホテルで催され、出版記念サイン会がMoMA Design Storeにて催された[6]


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