ディー橋事故(ディーきょうじこ、英語: Dee bridge disaster)は、1847年5月24日に発生した、5名の死者を伴うイギリスの鉄道事故である。 1840年代、イギリスの鉄道網を拡張するためにチェスター・アンド・ホーリーヘッド鉄道(Chester and Holyhead Railway
概要
1847年5月、落橋事故が発生し、橋を通行していた普通列車が川に落下した。この事故で5名の死者と多数の怪我人が出た。事故の根本的な原因は設計上の問題とされた。橋はロバート・スチーブンソンの設計で、彼は地域検査官に無知を咎められた。鋳鉄は圧縮には強いものの、捻れ、引っ張りには脆いことが知られていた。また、事故当日、線路を支える樫の梁に火がつくことを防止するために橋の上を敷石で覆う作業が行われており、新たに追加された敷石の荷重も事故の一因となった。皮肉にもこの予防はロンドン、ウクスブリッジのグレート・ウェスタン鉄道で、イザムバード・キングダム・ブルネルが設計した橋が出火して崩落した事故を受けてのことであった。 ディー橋事故は、結成されたばかりの鉄道検査会(Her Majesty's Railway Inspectorate
調査
事故は、線路に敷石が敷かれた数時間後、機関車が最後の桁に達した際に起きた。桁は真ん中で割れ、すべての車両が50 フィート下のディー川に転落した。敷石の荷重は間違いなく事故が起きる一因となった。詳細な原因については様々な説が唱えられたが、橋の設計が重篤に誤っていたという点では意見は一致していた。ルイスとギャグは、応力集中により増幅された桁下部の張力により壊れたと主張した。ヘンリー・ペトロスキ(Henry Petroski)は、錬鉄棒は梁の圧縮を悪化させ、中心からずれているために側方捻じれ座屈による破壊をきたしやすくすると述べた。しかしこの意見は脆性破壊を説明できない。桁の繰り返す変位により下縁のつばの角から疲労により破壊したと考えるのが妥当である。橋が建設される数ヶ月前、ウィリアム・フェアベアン(William Fairbairn)は、ロンドンの土木技師会(Institution of Civil Engineers)の集いで設計者のスチーブンソンに鋳鉄桁の問題を警告したが、この忠告は無視された。 王立委員会(1849年報告)は鉄道橋に鋳鉄トラスを用いることと設計を非難したが、その後、ウートン橋崩壊(Wootton bridge collapse
鋳鉄橋の事故
参考文献
Henry Petroski, Design Paradigms (1994) ISBN 0-521-46108-1.
LTC Rolt, Red for Danger, Sutton Publishing (1998).
Roy Wilding, Death in Chester (2003) ISBN 1-872265-44-8.
PR Lewis and C Gagg, Interdisciplinary Science Reviews, 45, 29, (2004).
PR Lewis, Disaster on the Dee: Robert Stephenson's Nemesis of 1847, Tempus Publishing (2007) ISBN 978 0 7524 4266 2
関連項目
橋
橋の災害
構造力学
構造破壊
テイ橋
外部リンク
⇒ディー橋事故に関する論文 (英語)
当時の人の報告 (英語)
⇒イギリスにおける橋の事故に関するページ (英語)
⇒テイ橋とディー橋の事故に関する調査 (英語)