ディー・ディー・ブリッジウォーター
Dee Dee Bridgewater
基本情報
出生名Denise Eileen Garrett
生誕 (1950-05-27) 1950年5月27日(74歳)
出身地 アメリカ合衆国 テネシー州メンフィス
ジャンルジャズ、R&B
職業歌手、女優、音楽プロデューサー、ソングライター、国連親善大使、ラジオ・パーソナリティ
活動期間1966年 -
レーベルDDB、Sony Masterworks、OKeh、ヴァーヴ、エレクトラ、MCA
共同作業者サド・ジョーンズ / メル・ルイス・オーケストラ、ホレス・シルヴァー、ディジー・ガレスピー、ソニー・ロリンズ、エラ・フィッツジェラルド、ベティ・カーター
ディー・ディー・ブリッジウォーター(Dee Dee Bridgewater、1950年5月27日 - )は、アメリカ・テネシー州メンフィス出身のジャズ歌手・俳優。本名はデニス・アイリーン・ギャレット (Denise Eileen Garrett)。現在、国際連合食糧農業機関(FAO)の大使をつとめている。 出生名「デニス・アイリーン・ギャレット」としてテネシー州メンフィスで生まれ、ミシガン州フリントのカトリックの家庭で育った。父マシュウ・ギャレットがジャズ・トランペッターで、マナサス高等学校の教師をしていたため、早くからジャズを歌い始めた。16歳の時、ミシガン州のクラブでロック&リズム・アンド・ブルース・トリオに歌手として参加した。18歳の時、ミシガン州立大学に進学し、その後イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校で学んだ。1969年、自身のジャズバンドと共にソヴィエト連邦へツアー公演を行なった。 翌年、トランペット奏者のセシル・ブリッジウォーターと出会い、結婚後ニューヨークに転居して彼女はホレス・シルヴァーのバンドで演奏した。1970年代初頭、彼女はサド・ジョーンズ/メル・ルイス・ジャズ・オーケストラにリード・ボーカルとして加入した[1]。これによりジャズでのキャリアをスタートさせ、ソニー・ロリンズ、ディジー・ガレスピー、デクスター・ゴードン、マックス・ローチ、ローランド・カークといった著名なジャズ・ミュージシャンと共演した。1973年、モントレー・ジャズ・フェスティバルに出演した。1974年、1枚目のアルバム『アフロ・ブルー』をリリースし、ブロードウェイ・ミュージカル『ザ・ウィズ』に出演した。良い魔女グリンダ役を演じ、1975年、トニー賞助演女優賞を受賞し、1976年、『ザ・ウィズ』はグラミー賞ミュージカル・ショー・アルバム賞を受賞した。1990年、コンサートモロッコのラバトで行われた音楽講義に出演するハービー・ハンコックとディー・ディー・ブリッジウォーター ステージで立ちつくして歌うスタイルの歌手が多い中、「歌って踊る」彼女のパフォーマンスはアメリカでなかなか受け入れられず[要出典]、一時期はミュージカルに活動の主軸を移した。1984年のミュージカル『Sophisticated Ladies』で賛辞を受け、1986年にフランスへ移住した。同年、ミュージカル『Lady Day』にビリー・ホリデイ役で主演し、ローレンス・オリヴィエ賞にノミネートされ、レイ・チャールズが1曲参加したアルバム『Precious Thing』をレコーディングした。1980年代後期および1990年代初頭、ミュージカル界からジャズ界に戻った。1990年、イタリアのサンレモ音楽祭とスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルで演奏し、4年後、長年尊敬し続けていたホレス・シルヴァーと遂にコラボレーションを果たし、アルバム『ラヴ&ピース?トリビュート・トゥ・ホレス・シルヴァー』をリリースした。また1996年にはサンフランシスコ・ジャズ・フェスティバルに出演している。1997年、トリビュート・アルバム『ディア・エラ』が1998年グラミー賞ジャズ・ボーカル・アルバム賞を受賞し、続く1998年のアルバム『ディア・エラ・ライヴ』もグラミー賞にノミネートされた。1998年、再度モントルー・ジャズ・フェスティバルに出演した。2002年、クルト・ヴァイルの曲で構成されるアルバム『ディス・イズ・ニュー?クルト・ワイル・ソングブック』、2005年、フランスのクラシック曲で構成されるアルバム『フランスへのオマージュ』をリリースした。 2007年のアルバム『レッド・アース』はアフリカの影響を受けており、西アフリカのマリ共和国の多くのミュージシャンが参加した。2007年、再度サンフランシスコ・ジャズ・フェスティバルに出演した。2007年12月8日、ワシントンD.C.のジョン・F・ケネディ・センターでテレンス・ブランチャード・クインテットと共に演奏した[2]。しばしばツアー公演を行ない、世界中でコンサートを行なっている。2009年10月16日、上海JZジャズ・フェスティバルのオープニングに出演し、エラ・フィッツジェラルドに関連する曲の他、デューク・エリントンなどジャズのスタンダードを演奏した。 ヴァーヴ・レコードから多数のアルバムを発表し、1990年代以降においてダイアン・リーヴス、カサンドラ・ウィルソン、ダイアナ・クラールらと共に最も成功したジャズ歌手の一人と考えられている。 最初の夫であるトランペット奏者セシル・ブリッジウォーターとの間に長女、二度目の夫との間に二女、現在の夫との間に長男がいる。二女のチャイナ・モーゼス
経歴
家族
受賞歴
トニー賞 - 1975年 『ザ・ウィズ』 最優秀助演女優賞(グリンダ役)
グラミー賞
1976年 ベスト・ミュージカル・アルバム賞(『ウィズ』、キャストの1人として)
1998年 ベスト・ジャズ・ボーカル・アルバム賞("Dear Ella")
1998年 ベスト・ジャズ・ボーカル伴奏編曲賞("Cotton Tail"、編曲者のスライド・ハンプトンが対象)